初日
「いらっしゃいませ」
バスから降りると宿の女将や中居さん達ににこやかに迎えられる。
イギリスは日本との交友が深かったため、何度かこういう和風旅館に泊まった事もあるが、この風情が良いと思う。
旅館は貸切でチェックインは2時。
そのままフロントで荷物を預けて各部屋に運んでもらい、本人達はそのままの足で会議室に。5時半まで会議で6時から宴会場で皆で食事、その後自由行動というのが、初日の日程だ。
その後二日は仕事抜きでそれぞれ自由行動というのは、宿を取る時にアメリカが強引に決めたとのこと。
いわく
「ダラダラやるより、短期集中した方が効率がいいんだぞ!」
らしい。
確かにそうなのだが、それならあと二日泊まる事はないじゃないか…とイギリスは思う。
そう…特に部屋割りを決めたあたりからは非常に強く。
本当に…スペインと同室とかどうしろというのだ。
まだイタリアとかなら楽しかったかもしれないのに…あのメタボとくそヒゲめっ!と、邪魔をした二人を内心本気で恨む。
ああ…気まずい。
イギリスは実は別にスペインが嫌いなわけではない。
幼い頃は随分と可愛がってもらった記憶もある。
1番近くにいた隣国は、おそらくそれなりに親愛の情はあったのかもしれないがいつも自分を小馬鹿にした態度だったし、実兄達にいたっては自分を見ると弓を射ってくる始末だった。
そんな中で唯一純粋に可愛い可愛いと頭を撫でてくれたスペインに孤独な子どもであったイギリスが密かに好意を持つのは当然の成り行きだった。
その後…国の政策で騙し討ちのような方法でスペインを蹴落としてからはほとんど口も聞かなくなって…最近では仕事上の付き合いもあるので、普通に話をするようになったが、それはあくまで公的な事に限られている。
プライベートではほぼ接点がない。
…というか…まだ嫌われている自信がある。
そしてさらに悲しいことには、イギリス自身は小さい頃の好意をそのまま成長させて、もう熟成しきって腐ってるのではないだろうかと思うほどドロドロになった重い好意を抱えたまま生きていたりするのだ。
もちろん両想いになりたいとかそんな大それた望みを抱いたことはない。
ただこれ以上嫌われたくない。それだけだ。
自分だけこんな想いを抱いていると知られるのは当然つらい。
かと言って相手に嫌われているからといって同じように嫌っている態度を取って更に険悪になるのも嫌だ。
さり気なく自然に…プライベートでは人付き合いが上手くないイギリスにはそれだけのことがとても難しい。
会議が終わりに近づくにつれて、どんどん緊張が高まってくる。
ドクンドクンとうるさいほど高まる心臓の鼓動。
冷や汗が額を伝う。
アメリカがいつものように馬鹿げた提案をしているのに突っ込む気力すらもうわかない。
というか…誰かツッコミを入れてやってくれ。
そして会議を長引かせてくれ。
ところが会議は思わぬ事で予定より早く終わることになってしまった。
蜘蛛の糸
ピョンピョンと跳ねた麦色の髪にクルクルと表情をよく変える大きく丸いペリドットの瞳。
全体的に白い肌の中でうっすらバラ色の頬。
(ああ…かわええなぁ……)
そちらに目を向けると思わず顔がほころぶ。
AKY…よく某超大国を指してそう言う人間もいるが、スペインこそがまさにそれだということに気づいている者はそう多くはない。
そう、それに気づいているのはずっと一緒にいた子分のロマーノ、あとは付き合いが古く深く、変なところで勘がいいプロイセンくらいではないだろうか…。
同じく付き合いは古く深いがフランスあたりは気づいていないと思う。
スペインは遥か昔からずっとイギリスを見ていた。
それこそ1000年近く前、フランスの家でまだ小さなイギリスを目にした瞬間から。
【この子が欲しい】…という欲求はすぐに【この子を絶対に手に入れる】という決意に変わる。
望むものはそう多くは無い代わりに、望んだものは絶対にどんな手を使ってでも手に入れようとする…スペインはそういう男だった。
しかし時が満ちていないうちに近づきすぎれば、そこで終焉を迎える。
だから絶対に終焉を迎えるわけには行かないイギリスとの距離は慎重に慎重に…。
透明な糸を張り巡らせて息を潜めて獲物を待つ蜘蛛のように…ひそやかにして巧妙に……
途中両国の関係が婚姻によって近づいた時もあったが、その良好な関係は非常に脆く、破綻の予感を秘めていた。
そんな時に関係を深めても、国の関係の悪化と共に個人の関係もこじれて終わりだ。
一度捕まえたら二度と離す気はない。
だから関係を築くのは、両国の関係が個人に影響するほど最悪に変わる事がなくなるくらい世界がある程度落ち着いたタイミングでだ。
それまでは飽くまで国の関係が悪い時は不自然に見えないようにある程度の嫌悪感を示し、行動に移すまでは他に邪魔をされないように好意を示し過ぎないように気をつける。
それは感情に流されないようにかなりの自制心を要したが、人に揉まれて育ってきた人付き合いの得意なスペインには難しいことではなかった。
そして昨今、スペインもイギリスもEUという共同体の枠に入り、少なくとも欧州では武力で争うことはなくなってきた。
そろそろ頃合だ…と思っていたところに今回の話である。
鉄の理性で抑え付けていた気持ちの強さは、軽々しく発散してきたフランスやアメリカに負けることは無いと、スペインは自負している。
だから今度の会議は日本の和風旅館で二人一部屋に…と聞いた瞬間、スペインは一人密かに1000年もの思いを遂げるため、脳内でさまざまなシミュレーションを開始した。
素直になれなくて暴言を吐く割にイギリス大好きな元兄フランスと元弟アメリカ。
その二人の間でイギリスとの同室をめぐる争いが起こるのは目に見えている。
その隙をついてイギリスとの同室を掠めとるには……。
幸いにして自分は彼らにとってイギリスに関してはノーマークどころか、国々の中でもっとも安心と思われている存在だ。
部屋割りに揉めた時に仲裁に入っても、彼らはもちろんのこと、誰も怪しみはしない。
おそらく部屋割り争いに頭を痛めるであろう日本をそれと知らせずさりげなく巻き込めばさらに完璧だ。
100年以上も作り続けた造花の花のちょっとした変化に気づける者はスペインを置いて他にはいない。
だから自分だけが気づける程度に若干の変化を加えた花を部屋の数と同じ数の組み合わせで造り、自分だけはどの花の対はどの花とわかるようにしておく。
そしてイギリスか自分、あとから引くことになる分が偶数になるなら日本に先に引くように言い、奇数になるなら自分が先に引くように申し出て、同じ番号を引けるように画策した。
こうしてめでたくイギリスと同室のナンバーを引き当てて、久々に楽しい気分で会議に臨む。
一度口説くと決めたらそこはスペインもラテン男だ。
人慣れない優しくされ慣れていないイギリスを、ぐずぐずに甘やかして蕩かせて落とす自信は満々だ。
最初は信じてもらえないだろうが、なに、1000年も待ったのだ。
あと100年くらいは余裕で待てる。
それだけ口説いて口説いて口説きまくれば、なんとか信じてもらえるだろう。
ロマーノの時もそうだったのだが、こと大切だと思った相手に対してはスペインはとことん寛大になれるし、素直でないひねくれた反応に対するスルースキルも十分持ち合わせている。
普段は苛つかせられる超大国の荒唐無稽なたわごとも、鼻歌交じりに進める内職のBGMに聞こえるほどには、今日のスペインの機嫌はよろしかった。
しかしクルクルと花の茎に当たる部分に深緑のテープを巻きつけながら、そろそろ可愛いイギリスが眼鏡のたわ言を一刀両断にする頃やな~と、チラリとイギリスに視線を向けた瞬間、スペインは異変に気づいて顔色を変えた。
ピタリと内職の手が止まる。
脳内にあるのはただ一つ。
いかにフランスとアメリカに原因を悟らせずに会議を早急に終わらせるかだ。
それが出来そうなのは主催国の日本だが、あそこまでメモを回せば誰かが気づいてしまう。
あとは…そうだっ!イタリア!
スペインは急いで隣のイタリアにメモを渡した。
そしてこちらも仲の良い日本と同室になったせいか機嫌よくヴェ~ヴェ~言いながら配布書類に落書きをしていたイタリアは、そのメモを見て目を丸くし、そしてスペインと反対側の隣、イギリスの様子を確認する。
そしてきょとんと首をかしげ、
「ま、いっか。俺も会議飽きちゃったし。」
と、つぶやくと、いきなりシュタっと手をあげた。
「は~いっ!ていあ~ん!!!」
荒唐無稽なアメリカの案に物申すのは常にイギリス…という共通認識はおいておいても、イタリアが会議の議題に口を出すのは珍しい。
各国はもちろん、当のアメリカすらびっくりしている。
「イタリア、君何か議題について意見なんて持つ事あるのかい?!」
などと失礼な発言をするが、イタリアは気にすること無く、それどころか、
「あはは、そうだよねぇ~」
などと笑ってみせた。
「えとね、俺は難しい事よくわかんないんだけど、すごく大きな議題みたいだし、賛成の人も反対の人も持ち帰ってよく考えて、説得する資料とか集めてまた今度ゆっくりの方がいいんじゃないかなぁ?
どうせあとちょっとしか時間ないし、そんな時間じゃ終わりそうにないし、せっかくこんなお宿に来たわけだし、今回はもうお休みにして、俺タタミでシェスタしたいな~って。」
ヤル気のない国は元々早々に終わりたいと思っていたし、やる気のある真面目な国々はイギリスがツッコミを入れない事でアメリカの独壇場になっていることにイライラしていた。
ゆえに本当に珍しく、イタリアのこの提案はあっさりと受け入れられ、会議は40分ほど早く終了とあいなったのだった・
そして日本が会議の終了を宣言すると共に、スペインはイギリスの腕をつかんだ。
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