それから暑い夏が来て、1週間だけもらえた長期休暇には旅行に連れて行ってもらった。
ギルベルトの運転する車で行く高原の別荘。
アーサーはとにかくとしてギルベルトは有名人なのでどこへ行っても注目を浴びてゆっくりできない。
そんな理由でのチョイスだった。
それでもアーサーにとってはそれは生まれて初めての旅行だ。
おまけに昼間はそれなりに暑いのだが湿気がないので過ごしやすくて、日が落ちると夏だなんて嘘に思えるくらい涼しい。
マーケットで食材を買いこむ以外はファンを回すだけで十分涼しい室内にいて、ギルベルトと暮らし始めてから出来た趣味の刺繍や彼とのおしゃべりを楽しんだ。
ギルベルトはとても博識で、仕事やプライベートで色々な所にも行っていて、遠い外国の話とかもしてくれた。
――この撮影が終わったらもう少し休暇も取れるだろうし、今度はアルトも一緒に行こうな?
と頭を撫でながら笑うギルベルトにアーサーも笑って頷いた。
“今度”なんて時は決して来ない事もアーサーは十分わかっているが、夢を見るくらいは自由だろう…そんな風に思いながら。
初めてキスをしたのもその別荘にいる時だ。
真っ白な別荘の真っ白なバルコニーで……。
虫の声しか聞こえない夜。
月明かりの下で当たり前のようにギルベルトの息をのむほど綺麗な顔が近づいて来て、
――目をつむるとまつげがすごい長いのがわかるな…
などと思っていたら唇に唇が触れて驚いた。
――びっくり眼も可愛いけど、撮影の時は顔が近づいたら目をつぶってな?
との言葉で、ようやくそれがもうすぐあるラブシーンの練習だったのだとわかる。
それでもどう反応して良いかわからなくて…でもキスをしたんだ…と思うと顔がどんどん熱くなっていった。
いわゆる赤面という状態だったのだろう。
そんなアーサーの反応に今度はギルベルトが目を丸くして固まり…そして焦った。
「わ、わりっ!もしかしてキスとかしたことなかったか?!!」
何故そんなに焦っているのかわからずに、それでもアーサーがこっくり頷くと、ギルベルトは頭の上に、“ガ~ン!!”とでも擬音がついていそうな表情をして片手を額にやり、空を仰いだ。
「本当に悪い。
初めてだったのに軽々しくしてる場合じゃなかったよな…」
と本当に申し訳なさそうに頭を下げるギルベルトがわからない。
だって、どうせこの先、生きていたって、アーサーにキスをしたいなんて言う物好きは現れないだろうし、それなら別にそういう体験が出来ただけでも良い経験だったのではないだろうか…
そう言うと、ギルベルトはなんだか泣きそうな顔をした。
わけはわからないが、自分の発言が彼を悲しませたのは確からしい。
――ギル…ごめん。何か悪い事言ったか?
と言うと、急に抱きしめられた。
ぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱きしめられて、苦しい…と遠慮がちに主張してみると、――わりっ…と緩められる力。
それでもギルベルトの腕の中。
――…好きだ……
シンプルに…それだけにまっすぐ突き刺さるような言葉…。
吸い込まれそうな底知れぬ紅い瞳。
これは…演技のための同居の延長線上だと思わなければ、誤解してしまいそうになる。
さすが名優。
さすがに迫真の演技だと理性を総動員して思うのだが、筋肉質な胸に添えた手が…腕の中に抱え込まれた身体が震えるのを抑えられない。
どこか心臓を鷲掴みにされたような気分で、流され、引きこまれそうになる意識を繋ぎとめるのに必死になる。
顔が熱くて目の奥がツンとして、視界が潤み始めた時、ふいに張り詰めた空気が少し和らいだ。
そして少し力が抜けた瞬間、耳元にふわりと落とされる言葉…
――…待つから…。アルトの気持ちが追いつくまで…
…え?と思った時には体は離れ、震える身体にパサリとギルベルトの上着が落とされた。
「ちょっと冷えるからそろそろ部屋に入った方が良いな」
と、さきほどの空気など微塵もみせずに笑うギルベルト。
主人公モードの入るのも唐突なら、モードがオフになるのも唐突だ…と、アーサーは今度こそ完全に肩の力が抜けてため息をついた。
それからは休みいっぱいそんな空気になる事もなく、アーサーの夏休みは幕を閉じた。
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