アーサー、そこ、そんなに固い表情するところじゃないっ。
もっと打ち解けた感じでっ!!」
もう何度目のリテイクになるのだろうか…。
まだ撮影が始まってからそうたっていないというのに自分でも情けなくなるくらいのNG。
泣くな…仕事として受けた時点でお前はプロだろっ…と思ってはみるものの、目の奥が熱くなってくるのを感じて慌てて俯いて唇を噛みしめるアーサーを他のスタッフから隠すようにサッと目の前に落ちる影。
「あっちぃーー!
悪い、俺様ちと暑すぎて限界。
少し休憩入れてもらっていっすか?
明日から本気出す…とか言わねえけど、休憩後から本気出すんで。
たぶんすぐ側にいるから俺様の暑さへのイライラオーラをモロ感じとってアルトも緊張すんだわ。
ほら、それでなくても俺様大スターだし?」
と、最後は冗談めかして言うギルベルトの彼らしい言葉に、不機嫌になり始めていた監督に少し緊張していたスタッフ一同が笑ってホッと息を吐きだした。
ギルベルトが大スターだと言うのは本当のことだ。
しかし彼はしばしばそれを冗談として使い、仲間内からいじられている。
だからこそのこの笑いである。
気難しい事で知られる監督も、仕事に関しては非常に真摯で優秀なこのビッグネームの言葉にさすがに苦笑いを浮かべてOKを出した。
それを確認すると、ギルベルトは
「緊張させて悪いな、アルト。
お詫びに俺様が特別にコーヒーを奢ってやんよ。
ま、自販の缶コーヒーしかねえけど」
と、ニカっと笑ってアーサーの肩を抱いて廊下へと促した。
アーサー・カークランド20歳。
今回、子役時代から演技派の名を欲しいままにしてきた売れっ子俳優、ギルベルト・バイルシュミット主演の映画『狼が涙を零す時』で公募していた相手役のオーディションを受けたのは、本当にたまたまだった。
アーサーは孤児院の出身で、16歳で施設を出てからは1人暮らし。
高校まではバイトと奨学金でなんとかでたものの、その先はその奨学金返済と毎日の生活のためにひたすら働く日々。
が、学歴も資格もない子どもに対して社会は決して優しくはない。
その頃のアーサーは非正規雇用で雇われていた職場で人員整理があり、雇用契約を切られて茫然としながらもなんとかバイトで食い繋いでいた。
働かなければ即飢える。
家賃が払えなくなれば寝る場所すらなくなる。
だから不安定なバイト一つだけでは切られた時に困るので、一つ二つ切られても大丈夫なようにいくつものバイトをかけ持ちしていた。
おかげで毎日クタクタだ。
そんな生活を続けていたある日、目に入ったのがこの相手役の募集のポスターだった。
(撮影期間1年間の予定…と言う事は、その間は食べていけるのか……)
まず思ったのはそんな金銭的なことだ。
それはなんとゲイの主人公の相手役…つまりゲイの役だったがそんな事もどうでもよい。
明日の衣食住が確保できるかが最優先事項である。
そんな理由で受かるわけもないが…と思いつつ1年間の生活費目当てに応募してみたら、何故か書類審査に通って、あれよあれよと言う間に一次面接。
応募者数千人の中から選ばれたらしい100人を10人ずつのグループに分けての面接で、そこから10人に絞るとのことで足を運んでみたら、なんと面接官の中に主演の大スター、ギルベルト・バイルシュミットがいるではないか。
呆れた事に、アーサーはそれまで相手役がそんな大スターであることすら見ていなかった。
ゲイの役でも採用されれば1年間は食っていける…そんな事を考えてここまで来たのは絶対にアーサーだけだっただろう。
普段テレビの向こうにいる人気俳優はなんだか一般人離れしたオーラを放っていて、それだけでもう別世界というか、自分がその場にいるのが場違いな気がして、受かる気なんて欠片もしなくなってしまった。
他の候補者が順に自己アピールをして行く中で、アーサーが言えたのは『お時間を取らせて申し訳ありませんでした』というなんともその場に不似合いな言葉で、他の候補者の言葉には色々質問を返していた面接官達も反応に困ったかのように無言になった。
それは時間にしてそう長くもなかったのかもしれないが、アーサーにとってはとても長く感じた沈黙の時間。
「えっと…それだけで…」
と我に返った1人がそう口を開いて、おそらくその次に
「良いのか?」
という言葉が続くはずだったのだろう。
だが、それを遮ってかけられたのは、
「それは…辞退してえってこと?」という声。
なんと応募者達の自己アピールが始まってから初めて発せられた主演、ギルベルト・バイルシュミットの声だった。
室内の応募者達がざわめいて、一斉にギルベルトを…そして次いでアーサーを見る。
その視線にアーサーはさらにいたたまれなくなった。
――そうではなくて……
とアーサーが泣きそうになりながら言うと、
――うん、そうじゃなくて?ゆっくりでいい。自分の言葉で言えよ。
と、ギルベルトは要領を得ない様子のアーサーに苛立つ事もなく、よく演じる役柄のようなクールさもバラエティでのおちゃらけた感じも一切見せずに、静かな…しかし優しい様子で促した。
――とても場違いな気がしてきて…
その言葉自体が場違いだと言うのも重々承知しながらも、それが一番今の心境を表すのにぴったりな気がして口にすると、面接官達は一様に呆れ顔で苦い笑みを零したが、ギルベルトは笑うでも呆れるでもなく極々真面目な顔で、とんでもない答えを返してきた。
「あ~、確かにな。
今回の恋人役のエディは人見知りで悲観主義で、自分が数千人の中で選ばれるなんて思って面接きたりする奴じゃねえし?
よし、じゃ、面接やめるぞ。
とりあえず別室で契約結ぶ準備させっから逃げねえでくれよ?」
「「「はあ???」」」
その場にいた全員――もちろんアーサーも含めてだ――が、ギルベルトのその言葉の唐突さに驚いて固まった。
しかし当のギルベルトは
「イメージにぴったりだし、こいつに決めたから。
もう面接終了ってことで」
と、淡々としたものだ。
その後、当然ながら他の面接官から反論が来る。
元の性格が役に似てるから良い演技が出来るわけじゃないし、むしろ今回の主人公の恋人役のような性格だと、カメラの前で演じるのには向いてないのではないか…と。
そんなもっともな理由で反対されたわけなのだが、それもギルベルトの
「何言ってんだ?
相手の演技力なんて関係ねえよ。
俺様が相手をエディに思えて、俺様が主人公のクラウスになり切れれば他には何にも問題ねえだろ?
これは俺様、ギルベルト・バイルシュミットのための映画なんだから」
と言う鶴の一声で全ての反論は封じ込められた。
一般的な正論を押しこめる圧倒的な論理。
こうしてギルベルトの言葉一つでアーサーは自分でも思ってもみなかった役を手にする事になったのだ。
自分が決めた責任というものを感じているのだろう。
全てが初めてで慣れないアーサーをギルベルトは全面的にフォローしてくれた。
今回もどう考えてもギルベルトのせいではない。
単にアーサーが演技を出来ていない。
そう思うのだが、自分でそれを指摘して肯定されて叱責されるのが怖い。
いつだってアーサーの人生は失敗と叱責の繰り返しで、今回だってそうならないという気は到底してこない。
ギルベルトと共演する事になって改めて彼に関する色々な情報を集めてみたのだが、天才子役から天才俳優と称賛され続けた彼はしかし、その才能に溺れる事なく驕る事なく、常に努力を続ける人間だと言う事だ。
そんな人間にとってはそれがスタンダードで、才能もないのに努力しないような人間は本来唾棄すべき存在なのではないか…と、アーサーは思う。
実際、役柄に慣れるため…と、それ用に借りたマンションに一緒に暮らし始めてからも、彼は毎朝4時半に起きて走り込みと腹筋や腕立てなどの鍛練を欠かすことなく、その上で毎朝7時に起きるアーサーのためにきちんと栄養バランスの良い朝食まで作ってくれるのだ。
大スターに生活の面倒まで見させるなんてとんでもないことだ。
本来なら新米のアーサーが家事はすべきだ…と思うのだが、ほぼバイト先で扱っている破棄直前の弁当をもらって食いつないできたアーサーは料理が出来ない。
いや、レシピを見れば出来るのかもしれないが、大スターに変なものを食べさせるわけにもいかないだろう。
だからそのあたりは諦めて、せめてギルベルトを見習って4時半起きで走ろうと思った。
しかし…
『無理しないでいいぜ?』
と綺麗な赤い瞳が心配そうな色を見せるのを振り切って、おそらくいつもより随分とゆっくりと走ってくれたのであろうギルベルトについて行ったのだが、結果…ジョギングなどきちんとしていなかったアーサーはその日、疲労で動けなくなって撮影が出来なくなった。
その時もギルベルトは今日のようにアーサーをかばって、自分が体力づくりをさせようと無理に走らせたのだと監督に謝ってくれた。
本当は止めるギルベルトを振り切ってアーサーが勝手について行ったのに……
新人であるアーサーが大先輩ですでに大スターであるギルベルトの言う事に異議を唱えられるはずはない、そういうことで、アーサーにお咎めは一切なかったが、ギルベルトに迷惑をかけた申し訳なさと、失望されたのではないかという不安で吐き気がした。
それもまたギルベルトに心配されてしまったのだが……。
――大丈夫、大丈夫だからな?
アーサーが何かやらかしてしまうたび、ギルベルトはアーサーの頭を撫でてそう言って笑ってくれる。
今までアーサーにそんな事を言ってくれる相手も頭を撫でてくれる相手もいなかった。
それはすごく嬉しくて、温かくて…でもそう思えば思うほど、失くすのが怖くなっていく。
それが撮影の間の仮初のものであることなんて分かりきっているし、手に入れているわけではないのだから、失くすなんて事を思う事自体がおかしいことなのに…。
――おはよう、アルト
朝が少し苦手なアーサーのために淹れてくれた紅茶を片手にそう言って毎日起こしに来てくれる優しい声…クシャっと頭を撫でる手…
窓から差し込む日差しでさえ柔らかく優しく感じる朝。
そんなギルベルトと暮らし始めてから当たり前になりつつある日常は、始まった時点からすでに終わりに向かってカウントダウンされている。
ギルベルトは名優だから
『惚れてる相手って役の感覚掴むために、役と同じく同居しようぜ』
と言ったからには、この撮影が終わって不要になるまでは絶対に恋人に対するのと同様の優しさは崩さないだろう。
撮影が続いている間は、たとえアーサーがどれだけ失敗をして迷惑をかけても、ギルベルトは自分が愛しいと思っている恋人のソレだと思えば許してくれる。
でもそれはやった事実が消えるわけではなく、一時的に凍結されて蓄積されているだけだ。
撮影が終わって恋人役という枷が外れれば、きっと蓄積された嫌悪や怒りが融けだして、今の許容範囲が広ければ広い分、大きくなったそれを目の当たりにさせられる。
今を失くす…それだけでも耐えがたいくらい辛いのに、それ以上は耐えられる気がしない。
だから…最後にギルベルトと一緒に撮るシーンが終わったら、即、この温かい空間が冷ややかなそれに変わるのを見る前にマンションをあとにしよう…アーサーはそう決めていた。
その日が来るのは酷く辛く悲しいのだけれど…撮影は進む事はあっても戻る事はなく、カウントダウンは止まる事はないのだ。
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