天使な悪魔 第五章 _2

「アルト、今日はどうだった?
あ、こいつはここ来る途中の店で一緒に来たそうにしてたからな」

アントーニョとフランシスが部屋を出ると、ギルベルトはそう言ってアーサーの顔を覗き込みつつ、手の中の小さなクマのヌイグルミをそっとアーサーの手に握らせた。



そのクマはアーサーの両方の手のひらに丁度乗るくらいの子猫ほどの大きさの物だが、それよりも大きな物も小さな物も、アーサーのベッドの周りには様々なクマのぬいぐるみで溢れている。

それはグルリとアーサーを囲んで、あたかもアーサーを連れて行かれまいと言うギルベルトの心情を代弁して守っているようにも見えた。

実際…あれからアーサーの容態は一向に良くなる気配がなく、一気に悪化をしたりはしないものの、ゆるやかに弱っていっている気がする。

それが目に見える何かを倒すだとか入手しがたい何かを手に入れるだとか物理的な事であればたいていの事は上手にこなす自信のあるギルベルトも、こと病となると手も足もでない。

どうしたら手術が出来るくらいまで状態が良くなってくれるのか…何が原因で良くならないのかわからない…いや、わかっているがどうすればいいのかわからないと言うのが正確なところだろうか…。

「アルト……」
ギルベルトは両手でアーサーの頭を包むとコツンと額と額を軽くぶつける。

「俺様な…弟亡くしても悪友達亡くしても今の地位や仕事失くしても…何失くしても生きていける人間だと思うんだけどな…お前だけは無理だ。
お前亡くしたら多分もうダメになる。代わりはきかねえ。
それだけは忘れないでくれな?」

もう何度同じ事を言ったのかわからない…が、何度言ってもギルベルトの切実な気持ちはアーサーの心に届いてない気がした。

だからアーサーはいまだに病気だったり記憶がなかったりと色々面倒な自分の代わりにギルベルトに“面倒じゃない”誰かをあてがえば別に自分が死んでも良いと思っている節がある。

違う…そうじゃない、自分は別に一緒にいる誰かを求めているわけじゃない。
誰でも良いわけでもない。
アーサーだから一緒に居たいのだ。
アーサーじゃなければ何の意味もないのだ。

そんな簡単な事がどうしても伝わらない。
こんなに側にいるのに…どうしてもその心の中に気持ちを届ける事ができないもどかしさに、ギルベルトはため息をつくしかない。

はぁ…と、いつものように息を吐きだして、しかし空気が暗くなってアーサーの心に影を落として体調に響かせないように、ギルベルトは気を取り直して微笑みを浮かべた。

「基地内のスパイの洗い出しはほぼ終わって、外部からの侵入者に備えるシステムも時期にしっかりするから、そうしたらな、商業地域に繰り出そうな?
こいつと色違いとか大きさ違いのクマがいっぱいいる店とかもあるんだぜ?」
とちらりと土産のヌイグルミに視線を落とせば、それは嬉しいらしく大きな丸い目をキラキラさせて頷くのが可愛い。
「約束な?」
と念押しすれば、さらにうんうんと何度も頷いた。



クマのぬいぐるみの一つや二つで元気になってくれるなら、店ごと買い取ったって構わない。
もう今更ではあるのだが、東ライン軍の総帥様の実兄で育ての親で天才軍師と称えられる自分がアーサーの脳内順位ではクマ以下らしいのは泣けるが、それでも側で生きていてくれればそれで良いと思うくらいには惚れこんでしまっているのだ。
虎の威でもクマの威でも借りてやろうではないか。
そんな事を考えながら、ギルベルトはアーサーのベッドの脇のすっかり自分の指定席となった椅子に腰をかけて、街の様子やアーサーが喜びそうな店について話しつつ、アーサーの方からも一日の話を聞く事に費やした。


そうして自分の食事もベッド脇に運んでもらって一緒に取るが、アーサーの相変わらずの食の細さにため息をつく。
確かにほとんど寝たきりではあるが、それにしても身体を維持するのにあまりに足りないのではないだろうか…。

「…アルト……」
自分の食事を終えてカトラリを置くと、ギルベルトはアーサーの手から止まったままのスプーンを取りあげた。

言いたい事はいっぱいだ。
でも自分の感情をぶつけたところでアーサーを委縮させるだけな事はよくわかっている。

だからギルベルトは小さく深呼吸をして呼吸と気持ちを整えると、
「最強の軍師様が手ずから食わせてやるから、もう少し食え」
と、おどけた口調で言ってアーサーの口元にスプーンを差し出す。

そうされると拒否する事が苦手なアーサーは食べるしかない。
ぱくん、ぱくんと少しずつでも食べて、それでもギルベルトからすると少ない量をなんとか完食。

その後もしばらく一緒に過ごして寝支度をすませてアーサーが眠りにつくのを確認してギルベルトは自室に戻って仕事が日常だ。




…痩せたな……

書斎で書類に向かいながら、ギルベルトは悲しい気分でため息をつく。

本当に考えたくはないのだが、このままだともう手術は無理だろう…。
おそらくあのタイミング…本来アーサーが手術をする事になっていたタイミングが最後のチャンスだったのかもしれない。
それを軍部同士のゴタゴタでふいにしてしまった。

そしてその時の事故が原因の記憶喪失のせいで、アーサーの精神状態が著しくよろしくなく、おそらくそれが原因で心臓の状態が安定せず体力が戻らない。

ゆるやかに…本当にゆるやかに死に向かうのを止める事ができない…

(何が天才軍師だっ!)
ガン!と苛立ちにまかせてデスクを叩いても、残るのは鈍い音と手の痛みだけ。
そんな事をする事自体、本当に無意味だと思うが、苛立ちは消えない。

ギルベルトの人生の中でこんな風に八方ふさがりで成すすべがないのは初めてだ。
幼い頃から自分を律して培ってきた知識も身分も財力も何もかも、一番大切なあの子の命を繋ぎとめる…その一点に関してだけは何の役にも立たない。
それがむなしくも苛立たしい。

はぁ…と息を吐きだして、ギルベルトは握ったペンを放り出した。
そんな事を考え始めると本当に仕事になりはしない。

一休みしてコーヒーでも淹れるか…と、立ち上がってキッチンでお湯を沸かし、その間にきちんと計量カップで測って手動で1人分豆を挽き、それをドリップで淹れる。
若干手間はかかるのだが、煮詰まっている時にはこの手間をかける時間がクールダウンするのにちょうどいい。



精神状態の悪さは記憶喪失からくる不安が原因なのだろう。
一体どうしたら安心させてやれる…?
フィルターに淹れたコーヒーの粉に湯を注ぎながらギルベルトは考えた。
自分が生きて行くのにアーサーが必要で、自分が生きていると言う事はおそらく今の東ライン軍にとってはトップクラスに重要な要素である。

それだけではアーサーがこの場に必要な理由としては弱いのだろうか……

ああ、でも信じられていないのかもしれない。
アーサーは自分じゃなくてもギルベルトには代わりの人間がいくらでも見つかる…というか、もっとふさわしい人間が居るに違いないと思っている節がある。

自分にはアーサーじゃないとダメなのだ…本当にダメなのだ…
それをまず信じてもらわなければ話が始まらない。

そんな事を考えながら茶色い液体が丁度カップ1杯分ほど溜まったサーバーからコーヒーをカップに移そうとして、ギルベルトはピクリと手を止めた。

何か変な気がする。

何が…とは言えないが、おそらくギルベルトが普通に基地の奥で采配を振るっているような軍師だったら気付かないような空気…。

慌てて手に持ったサーバーを置くと、ギルベルトは書斎にかけ戻って銃を手にした。
それとほぼ同時くらいにプツっと灯りが消える。

そこで窓から確認すると、この部屋だけではなくこの上級将校の棟全体から光が消えているらしい。
停電でも即機能するはずの非常電源もつかないところをみると、通常の停電というわけではなさそうだ…。

(内部に潜入してたやつの仕業か……)

外部にいる時と違って、皆がすでに帰宅している状況で上級将校の宿舎全体の電源を落としていると言う事で、警備の人間も誰がターゲットと絞りにくく対処しにくい。
仕掛けた奴はそこそこ頭の切れる人間らしい。

さて、狙われているのは誰なのか……

アントーニョなどとは違ってギルベルトは飽くまで実働部隊ではないのだから、他のフォローに行かないでも責められるものではないと思う。

とりあえずアーサーと自分の身の安全が図れればそれで良い。
そう判断して、寝ているとは思うが万が一起きていて心細い思いをしていたらと、ギルベルトはアーサーの寝室へ向かう事にした。


書斎を出るとそこはリビングで、そこから右側にギルベルトの寝室、左側にアーサーの寝室があり、書斎からリビングを超えると廊下。
廊下の左右にバスとトイレがある。
なのでまず書斎を出てリビングに出たギルベルトは身を固くした。

薄暗い中に動く者の気配がする。
自分とアーサー以外の人間がいるはずのない場所に…

うごめく気配が感じられる廊下側のドアの方に反射的に手にした銃を向ける
が、引き金を引く前に相手はあろうことかアーサーの寝室の側に駆け込んだ。


しまったっ!!!
一気に体中から血の気が引いた。

やめてくれっ!!!
と、心の中で声にならない叫びをあげてギルベルトはその影を追う。


そして駆け込んだアーサーの寝室。
月明かりを背にした侵入者はアーサーのベッドの脇に立ち、ベッドに向けて銃を構えつつ、追ってきたギルベルトに視線を向けていた。


失敗した…と思う。
たいてい狙われているのはギルベルトで、自分が近づかなければアーサー自身に狙われる理由など何もないのだ。

今回だってわざわざアーサーの寝室へ行こうなどと思わず、書斎の方で物音でもさせて自分がそこに居る事を気づかせて誘いこめば少なくともアーサーを巻き込む事はなかったのに……


本当にアーサーの事となると全てが上手くいかない。
普段正確すぎるくらい正確なはずの状況判断が全くできない。
そして絶望的な場面ばかりつくりだして、自分の身ならとにかくアーサーの身を危険にさらすのだ。


幸いな事に相手は戦場に身を晒すタイプではなく暗殺等を生業とするアサシンタイプらしく、気配を見事に消している。

おかげでアーサーはまだ夢の中だ。
出来れば目を覚まして恐ろしい思いをさせてあまり具合の良くない心臓にこれ以上負担をかける前に終わらせたい。


「…目的は俺様だろ?」
声が自然と掠れる。

もう最悪自分は良い。
アーサーの治療や今後の生活に必要な金は自分が死んだら遺産は全てアーサーに行くように手配済みだし、自分の命であがなえるなら、あとの事は悪友達にお任せだ。
特にアントーニョはアーサーを随分と気にかけてくれているようだし、自分が死んでもなんとかしてくれるだろう。


頼む…目を覚まさないでくれ…と心の中で祈りながら、ギルベルトは侵入者に向かって交渉を始めた。

「お前が取れる選択肢は二つだ。
俺様が身柄を預かっているだけの一般人に危害を加えて成果もあげずに俺様に殺されるか、人質を俺様にチェンジして基地を脱出して成果をあげるか。
考えるまでもないよな?」

ギルベルト以外の人間にとっては東ライン軍きっての軍師で総帥の実兄であるギルベルトよりも病身の一般人であるアーサーの方が重いなんて事はないはずだ。

だけど…ギルベルトにとっては重いのだ。
自分なんかより…それこそこの世の何よりも重い。


頼む…早くしてくれ……アルトが目を覚ます前に……

時間にしてそれは数秒だったと思うが、ギルベルトには随分長い時間がたったように思われた沈黙のあと、侵入者は嫌な方向に考えをめぐらしたらしい。

「…お前の提案に素直に乗るのは危険だな……。
戦場をかけ回る体術にも長けた軍師様の事だしな。
何を企んでいるのかわからん。
それなら…こいつを人質に軍師様に周りに道を開けさせて頂くと言うのが正しいだろう」


そうきたか……
予測出来ない事ではない事だが、ギルベルトは頭を抱えたくなった。

自分の日頃の行動が今になって疎ましい。

アーサーを人質として連れ回させるなんて絶対にダメだ。
それだけはダメだ…

「そいつ…アルトは重度の心臓病患者だ。
そんな風に連れ回したら逃げきる前に発作起こして死んじまうし、そもそもが途中で歩けなくなって抱えて歩く事になるぞ。
そのくらいなら…」

と、そこでギルベルトは迷わず左手に持った銃で自分の右手を打ち抜いた。

焼けるような痛み…
しかし最悪の想像をした時の心臓にナイフを突き立てられて何度も抉られるような痛みに比べれば、耐えられないようなモノではない。

ギルベルトはそうしておいて片手と口を使って器用に止血をした。
そしてそれを終えるとポカンとする侵入者に向き直った。


「これでどうだ?
信用できねえなら左も打てば良い。
それで足は使えるから連れ歩けはできるが、何か抵抗のような事をしようにも手は使えねえ」


これで…乗ってくれ…
もう他に思い浮かぶ手はない。
アーサーが目を覚ます前に…頼むから……

「一体何を企んでいる…」
そう言いつつ半信半疑になって来ているような侵入者の声にギルベルトは言う。

「何も…。
ただの感情だ。
俺様にだって感情的に大切なもんくらいある
自分の身なんてどうでも良いくらい大事なモンだってあるんだよっ
諦めようと思ったって諦められねえほど、心が痛くなるほど、何と引き換えにしたって構わねえくらい大切なモンがあるんだ」


そう…幼い頃から全てを諦めてきた…。

幼児らしく愛され甘やかされる生活…
それを犠牲にして培ってきたはずだった跡取りの座…
それを追われて得たのは、質素で何もかも自分で行わなければならない代わりに他に縛られない気楽な生活…
そこからまたそれを取りあげられて弟に臣下として仕えてと、他人の都合を何もかも諦めて受け入れて来た。

そんな中で初めて出来たどうしても諦めきれないもの…

「本当に…俺様にとっては唯一大事な相手だけど、俺様以外の人間にとってはただの病人だ。だからやめてくれ。
お前だってプロだろう?
一般人を巻き込んだ挙句に成果がないよりは、大人しく俺様を人質に逃げおおせた方が良くないか?」


……頼むから………そいつだけは巻き込むな…

相手がギルベルトに個人的な恨みを持っているとかでなく、単に敵の軍師の暗殺…もしくは機密奪取だけなら、ギルベルトが身代わりになるという時点で異存はないはずである。

あとはもう……ギルベルトの言う事を侵入者が信じてくれるかどうかだけだ。





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