ギルベルトがおかしくなった…と、アントーニョが聞いたのは午後の訓練が終わり、次の作戦の打ち合わせに入る前だった。
本来はギルベルトが指揮をとるはずだったものだ。
しかしどうやらとてもではないがそんなものを任せられる状態じゃないらしいと、急遽別の参謀が会議室に顔を出した時点で、
――ほな、親分も今回パスするわ。そういう約束やしな。
と、アントーニョも今回の作戦の不参加を告げて、会議室を抜けて来た。
そう、それはアントーニョが請われて軍に入った時の条件だ。
――東ライン軍に入りその傘下で戦うが、出撃はギルベルトの指揮の元に限る。
アントーニョに限ってそんな特別待遇がまかり通っているのには理由がある。
覇王の子孫…。
そう、かつて東西ライン両軍を相手に中央地域の中立を勝ち取った覇王と呼ばれた男がいた。
機を見るのが上手く、腕力も強く、武器をとればどんな種類のモノでも巧く扱い、それこそ本当に一騎当千と呼ばれた軍事の天才。
それがアントーニョの祖父だった。
そんな祖父は中央地帯の義勇軍で中央地域の独立を勝ち取り、中央政府の基礎を作り、しかしそれが出来るとあっさり引退。
中央と東の境界にある南方の田舎の村に引っ込んで、妻を娶り、子を成し、そして静かな余生を過ごしたあと、世を去った。
残されたのはその息子と娘。そしてそれぞれの子ども達。
息子夫婦には双子の男の子、娘にはやはり男の兄弟がいたが、いずれも覇王と呼ばれた祖父の才能は受け継いだ様子はなく、ただ一人、娘の下の息子、アントーニョのみにその才能は流れたようだった。
祖父は別に覇王と呼ばれた自分にこだわりを持つ事もなく、跡取りなどというものを作る気もなく、他の孫達にはそれぞれ向いているようなものをする事を勧め、それと同様にアントーニョには向いているのであろう戦闘技術を伝授した。
もちろん村を出て軍に入るのも村で自警に役立てるのも、好きにすれば良いと伝えた上でのことだ。
そんな風にゆるく穏やかにすごした子ども時代。
村長の息子のフランシスとは幼馴染で、年頃になった時に初めて肌を重ねる相手に選んだのも、そんなこだわりのない祖父の血ゆえか。
――やって、村の中でいっちゃんべっぴんやし?
と、緩く笑って誘ったらフランも
――まあ、覇王の孫の初めての相手とか、良い箔がつくかもね。
と笑って頷いたことから始まった関係だった。
畑仕事も悪戯も、良い事も悪い事も全て一緒にやらかす悪友とは別に、そちらには極力良い部分しか見せずに溺愛している双子の従兄弟達。
それが当時のアントーニョの大事な人間関係の全てだった。
ちょっと偉い祖父を持ってはいて、他人よりも力があるものの、ただの村の子どものアントーニョとしての生活、それが崩れたのはアントーニョが14歳の時。
祖父が亡くなって2年ほどたった秋口の事だった。
当時は中央地域もまだまだ不安定で、中央部と北部は完全に中央政府の勢力下にあったが、南部は国境沿いを東西の軍がうろちょろしていた。
それでも一応は中立地帯。
祖父が生きていた頃は攻め入ってくる事はなかったのだが、祖父が亡くなったあたりから、双方の軍が国境に軍隊を駐留させるようになっていた。
そして均衡が破られたのは夕方の事だった。
西隣の村から早馬が来た。
馬上の男は背に多くの矢を受けていて、それだけで何か異常事態である事は見て取れた。
大人は急いで子ども達を自宅へと連れ帰り、アントーニョの家では兄がすでに家を出て中央部へと働きに行っていたのでアントーニョは家にたった1人の子どもではあったが、母親は厳しい顔でその腕を掴んで
「非常時なんやったら、父ちゃんの孫のあんたが先頭立ってこの村守るんやで」
と、父に家を任せて隣村の男が運び込まれた村長の家へと向かった。
戦闘センスこそ受け継がなかったが、母はまさに祖父の娘だった。
双子の子ども達をしっかりと自分の家で保護をしている実兄の家にチラリと視線を向けたものの何も言わず、覇王の子孫である我が子を村に捧げる覚悟で村長の家のドアを叩く。
そのノックの力強さにまぎれもなく覇王の娘が来たと気付いた村長の妻はホッとした様子でドアを開け、
「今相談しようと誰かに呼びに行かせようと思っていたのよ」
と、母とアントーニョを自宅へと招き入れた。
つまりは…そういう事態だったわけだ。
事情を話したあと手当の甲斐なく亡くなった隣村の男の話によると、隣村が西ライン軍の兵に襲われていると言う。
おそらく正規の命令ではないのだろう。
現地で雇った無頼の輩を中心とした傭兵隊が待つだけの現状にしびれを切らして暴走しているらしい。
至急助けを…と言う事だったらしいが、この村とて農民の集まりだ。
むしろ戦火がそのうちこちらに来る可能性すらある。
「ええわ。うちが中央政府に救援頼みに行ってくるさかい、トーニョ、自分は東ライン軍に救援頼みに行き」
頭を抱えていた村長を尻目に、母がすくっと立ち上がって言った。
中央政府を作った覇王の娘が来たとなれば動いてもらえる可能性はあるし、西ライン軍の暴走なら東ライン軍にとっても叩いておいて悪くはないと思ってもらえる可能性もある。
最悪どちらかが動いてくれれば…そう主張する母に危険過ぎると村長が反対するが、母は
「うちは馬やったら負けへんわ。振り切ったる。
トーニョは…アホな子ぉやけど、兵の10や20来てもどつき返せるくらい強い子ぉや。
うちらん中で唯一くらい父ちゃんの血ぃ濃く継いどるさかいな」
と、豪快に笑うと、ほな急がな、と、止める間もなく飛び出していく。
そして残される村長家族とアントーニョ。
「お前…どうするの?」
と皆が口ごもる中聞いてきたのはフランシスだった。
この頃はまだ少女のように愛らしかったこの幼馴染は普段は顎をくいっと上げ、見下ろすようにしゃべる勝気な少年だったが、この時は珍しく不安げにアントーニョの腕を掴んで上目遣いに視線を向けて来た。
ああ…やっぱべっぴんやんなぁ…
などと、そんな深刻な空気はどこへやらそんな呑気な事を考えつつ、アントーニョはへらりと笑う。
「ん~。ここで行かんかったらおかんにどつかれてまうし?
よその兵隊よりうちのおかんの方がよっぽど怖いわ。
あの爺ちゃんの娘やしな。
と言う事で、ちょちょっと行ってくるから早い馬貸してくれへん?」
と、頭をかきかき言うと、フランシスははぁぁ~っと大きく息を吐きだしながら
「お前ん家って…もう色々おかしいよね」
と言いつつ、父親である村長に駿馬を貸してくれるように頼んでくれた。
こうしてアントーニョも母に続いて村を出た。
途中西ライン軍の兵らしき輩に出くわしたりもしたが、納屋から引っ張り出してきた祖父の戦斧で血祭りに上げ、一路東の国境へと急ぐ。
丸1日ひたすら馬を駆り、国境の東ライン軍の基地にたどりついたのは、翌日の夕方の事だった。
最果ての地の砦のわりにそこそこ立派な建物で
「すんませ~ん、近くの村から来たんやけど~」
と、礼儀などそっちのけでヘラリと笑って衛兵に声をかけたアントーニョは、即不審者として武器を持った兵士達に囲まれた。
まあ…確かに血まみれの戦斧を背負い、返り血にまみれた状態で、へらへらと笑いながら声をかけられたら大抵の者はビビる。
何事かと思う。
しかしアントーニョは村の外の人間との交流を持った事がなかったし、村人はどんな状態でもアントーニョが何者か知っていたため、たとえ同じ状況だったとしても警戒される事はない。
だからいきなり武器を持った兵士に囲まれたアントーニョが自分の方もそれを非常事態と警戒して武器に手をかけたのは当然の成り行きだった。
「なんで武器向けるん?自分らも西ライン軍と一緒なん?!」
わけがわからず訴えるアントーニョだが、それは東ライン軍の人間には禁句である。
「貴様っ!!なんてことをっ!!!」
と更に殺気立つ兵士達。
もう助けてもらうどころではない。
自分の方が捕獲、投獄されそうな状況で、アントーニョはわけもわからず焦った。
もうピクリとでも動いたら一気に戦闘突入かというところまで事態が切迫した時、突然
「ほい、そこでストップな。双方武器しまえ」
と、白い塊がアントーニョと兵士達の間に飛び込んできた。
「お前達の武器は、一般人に向けるためのものじゃないはずだぞ」
と、アントーニョに向いた兵士の刃先をピンと弾いたと思うと、
「お前もとりあえず返り血だらけの武器を抱えた人間が目の前に現れたら普通の人間は警戒するって事は知っておけ」
と、アントーニョの手をとって斧を降ろさせたのは、驚いた事にアントーニョよりも幼い少年だった。
銀色の髪に真っ白い肌。
それよりなにより特徴的だったのは真っ赤な瞳。
随分と整った容姿の少年ではあったが、動きに無駄なく立ち振る舞いに隙がない。
それでもアントーニョの勘が相手は敵意がないと言う事を告げてきたので、アントーニョは大人しく少年に従った。
「閣下っ!」
と、それでもアントーニョのすぐ側にいる少年に見張りの兵士は焦ったような目を向けるが、少年はにかっと笑って
「あ~平気だ。こいつに敵意はねえ。
たぶんこいつはお前らが束になっても敵わねえ達人だぞ。
その気になりゃお前ら一瞬で叩き殺されてた。
それやってねえってことは、はなっから敵対しようと思ってはいねえよ。
ようはお前らが武器向けたから自衛で武器向けただけだ」
と、まさにアントーニョの今の状況を言い当てただけでなく、その後アントーニョから事情を聞いて、中立地域への兵の派遣は法で禁じられているという重臣たちに
「法ってのは軍のためにあるわけじゃなく、人のためにあるんだろ。
何も領土拡大するわけじゃねえ。
単にそこに助けてくれって奴がいるから、手が空いてる人間が助けに行くだけだ。
そこにどこの所属だとか関係ねえよ。
親父が何か言ってきたら俺様が責任をとる。
基地護衛の任についてる奴以外はさっさと支度しろ。
盗賊に襲われてる現地の村人救うだけの人道的支援だ」
と、自ら武装し始めた。
アントーニョは当時知らなかったが、丁度地方の視察に来ていた総帥の息子様ということで、それに怪我でもさせたら降格どころの話じゃない。
下手をすれば首が飛ぶ。
ゆえに仕方なしに他の兵たちも少年ギルベルトに従って村の救助に行くために支度を始めたのだった。
一旦はアントーニョの村に立ち寄って、その後、隣村に行く予定で出発した一行ではあったが、その途中、一頭の馬が走ってきた。
正確には少年をしばりつけた馬が……
「フェリちゃん、何しとるんっ?!!」
と、慌てて馬を止めるアントーニョ。
馬に繋ぎとめられていたのは双子の従兄弟の片割れのフェリシアーノだった。
「ヴェー、アントーニョ兄ちゃん、会えて良かったよぉぉーー!!!」
縄をほどかれてアントーニョにしがみついて泣くフェリシアーノ。
元々気が弱くて泣き虫ではあるが、今回はいつもと感じが違う。
本当に切羽詰まった様子でアントーニョは
「うん、怖かったやんな。もう大丈夫やで」
と落ち付かせるようにその背をポンポンと軽く叩いて宥めてやっていたが、そんな状態のフェリシアーノをギルベルトがベリっとアントーニョから引きはがした。
「なにするんっ!!!」
と眉を吊り上げるアントーニョだが、ギルベルトはそれに憶することなく口を開く。
「何か…緊急事態じゃねえのか?
まず事情を聞いて早急に対処すべきものは対処する。
泣き言を聞くのはそれからだ」
淡々とそういうギルベルトにムッとしなくはないが、確かに正論だ。
村で一番と言って良いほどの怖がりのフェリシアーノを馬にくくりつけて放り出すなどと言う事は、確かに通常ありえない。
アントーニョは文句を言いたい気持ちをぐっと抑えつけて、フェリシアーノに向き合った。
そして出来うる限り優しい声で話かける。
「なんでフェリちゃんがこんなところにおるん?
村になんかあったん?」
と聞くと、フェリシアーノの方もそれでようやく事態を思い出したようだ。
「そ、そう大変なんだよっ!村にいっぱい兵隊が来ててっ!!」
「なんやてっ?!」
わたわたと手を振り泣きながら要領を得ないフェリシアーノの説明を要約すると、どうやら隣村を襲った兵士達は今度はアントーニョ達の村にも略奪に来ているらしい。
「で、俺は急いでアントーニョ兄ちゃんに帰って来てもらうように知らせに行けって兄ちゃんに言われて怖いからやだって言ったら馬にくくりつけられて……」
とまで聞いたところで目眩がした。
おそらく…村はひどい状況になっているのだろう。
そしてもう一人の双子の片割れロヴィーノはこのままいるよりも兵や夜盗がうろついていたとしても村の外に出した方が安全だと判断して理由をつけて弟を逃がしたのだ。
「いそがな……」
と、焦るアントーニョ。
一行はすでにアントーニョの村と隣の村との分かれ道に来ていた。
「ここで二手に分かれるぞ。
第一小隊と第二小隊はアントーニョについてこいつの村の救出に行け。
俺様は第三小隊を連れて当初の目的地、隣村に向かう。
おそらく敵の多数はこいつの村の方に流れているだろうからな」
自分の方に割く兵を3分の1にした息子様の命令に不安の色を見せた兵達に最後の一言でその理由を告げながら、ギルベルトは今度はアントーニョに再びへばりついていたフェリシアーノをべりっとはがした。
「こいつは道案内に借りてく」
と、それは普通のトーンで言いながらも、今度は小声で
(…こいつには…お前の村の様子見せたくねえんだろ?)
と、耳打ちしてきた。
ああ、そうだ。
確かに村がひどい惨状になっているとしたら、それをフェリシアーノに見せたくはない。
改めてそのことに気づいて、アントーニョは文句を言おうとして開いた口をつぐんだ。
「…まあ、こいつは普段は総帥の跡取り様の護衛もしてる俺様がしっかりガードしてやるから、ありがたく預けとけ」
と、少し不安な顔をしていたのだろう、ギルベルトはアントーニョにそう言ってその肩を軽く叩くと、フェリシアーノをジープの自分の横の席に座らせ、隣村へと分かれて行く。
総帥様云々は知った事ではないが、自分の勘があの少年は信頼に値する人物だと告げている。
だから彼に託したことでフェリシアーノは大丈夫だと判断して、アントーニョは自分の村の方へと気持ちをむけた。
中央の中でも未開の地と言われる中央南部の舗装されていない道路を馬とジープで進む一行。
森を抜けると見える煙。
急いで進んでいくと、それは幸い建物からではなく、中央の広場の辺りから立ちのぼっているものだとわかる。
しかしさらに進むと引き倒された垣根や農具を手に切り捨てられた男達の遺体――それは当然アントーニョがよく知る村人達の物である――が散乱していて、夫であり、父であり、あるいは息子であったその遺体の横で兵達にのしかかられて押し倒されている女達の姿が見えた。
何かが爆発しそうになって、しかしながらスッと心の中がガラスのようなもので遮られるのを感じる。
ザシュっ!!と振り下ろす戦斧は下品な声をあげる兵のみならず、その下の女達の命をも次々と刈りとって行った。
見知った顔がホッとしたものから恐怖へとその表情を変えて絶命して行くのを、アントーニョはまるで遠くの出来事のように、あるいは物語の中の出来事のように、受け止める。
こうして無表情に敵の命も身内の命も等しく摘み取りながら、アントーニョは村の中を奥へ奥へと進んで行った。
ギルベルトが寄越してくれた兵はまっすぐ進み続けるアントーニョの元から散開して、左右の民家を見に行っているようだ。
そして辿りつく最奥。
ひときわ大きな館は前日アントーニョが出た時のままそびえ立っていたが、しかしその頑丈なドアは破られて、廊下に倒れた忠実な老いた使用人の遺体が外からも見て取れた。
アントーニョは何の感慨もなくそれを踏み越えると、さらに館の奥を目指す。
まっすぐ長い廊下を進み、つきあたりのリビングへ。
そこに至るまでに控えていた敵兵は当然こちらは室内なので振り回しにくくなった戦斧の代わりに大ぶりのナイフの餌食になった。
リビングの入り口にはアントーニョに駿馬を貸してくれた村長の遺体。
その横には同様にその妻の…。
どちらも頭を一撃で撃ち抜かれている。
そして中央には中年の男。
侵入者に廊下が騒がしくなったとしても、そこで止まると思っていたのだろう。
後ろを気にする様子もなく、緊張感のない身体でひたすらに腰を振っている。
その下に組敷かれているのは……
ザシュッと命を奪う側も奪われる側も言葉を発する事はなく、広い部屋だけに持ち変えた戦斧の一振りで飛んでいく首。
辺り一面飛び散った血。
「おかえり~。あ~あ、酷い顔。ちょっと待ってな」
と、男の下に組敷かれていた少年は、ガンっ!と乱暴に男の遺体を蹴り飛ばしてその下から抜け出すと、何事もなかったようにアントーニョの手を引き、スタスタとリビングを出る。
「…おっちゃんとおばちゃん………」
その手の意外な温かさにパリンと心のガラスが割れて、破片で傷ついた心から血の代わりに涙があふれ出した。
「あ~、あれは俺。変に苦しむよりいいじゃない?
特に母さんは俺に似て絶世の美女だし?」
「……自分……」
「ああ、俺は平気。
初めてでもないし、男だから。
でもお前みたいに汗臭く武器持って立ちはだかるなんてガラじゃないしね。
それならお前が戻ってきた時に少しでも情報集めておいてあげた方がいいじゃない?
幸いあの豚、あいつらのボスならしいし」
グズグズと泣くアントーニョの手を引いて淡々と語りながら自室へ戻り、荒らされた室内に少し眉をひそめるフランシス。
「あ~あ、お気に入りの服とか台無しだよ。
とりあえずこれでいっか。
ちょっと湯浴みしたいから待ってて」
と、着替えを持って浴室へ向かうが、アントーニョには
「ここで待ってて」
と、頑なに同室を拒んだ。
本人は何も言わないが足元にわずかに流れて固まったような血の痕。
色々見られたくないものもあるのだろう。
それでも全く取り乱す様子もないフランシスに、浴室のドアの前で彼を待っている間、アントーニョは声をあげずに号泣した。
こうして時間にしてどのくらいたったのだろうか。
浴室のドアが開き、いつものキラキラしたフランシスが中から出て来た。
そしてドアの所にしゃがみこんでいたアントーニョの髪を優しく撫でて
「お前…本当に強いくせに泣き虫だよなぁ。
さ、作戦立てるぞ、しっかりしろよ?」
と、いつものように勝気そうな…しかし綺麗な微笑みを浮かべる。
そのいつも通りに安心してアントーニョが頷くと、フランシスはアントーニョの横に座りこんで、話し始めた。
「今村を襲ってる奴らは、西ライン軍の傭兵部隊らしいよ。
一応形としては傭兵隊の暴走。
でもそこで秩序が乱れた村を保護すると言う名目上、統治する気満々で暴走を放置してるんだって言ってた」
「つまり…敵は両方って事やな…」
実際14歳の子ども二人でそこまでどうにか出来るかと言うと疑問の残るところなのだが、それでもどこかに進んでいたかった。
立ち止まったらそこで終わる気がする。
自分を迎えるために楽に死ぬより辛くても生きることを選択してくれたフランシスの前で、アントーニョだっていつまでも泣いているわけにはいかない。
「ほな、出来ることから確実に…やな。
とりあえず村に残っとる残党を狩って行くで」
アントーニョは立ち上がって戦斧を担ぐ。
そして心身ともに安全地帯になった村長の館から、また外へと出て行った。
しかしながら少年二人の意気込みとは裏腹に、そこはすでに制圧されていて、拘束されて連座させられている兵士達と、特に見つかりにくい場所に隠れていた本当に少数の年寄りと子どもが、彼らの子や親の遺体が散乱する広場を避けて、村長の家の前に集められていた。
「…これで…全部なん?」
居るべき相手がいない事に怯えながらアントーニョが聞くと、おそらく…と言う部隊長の声が返ってきて、アントーニョは目眩を感じた。
父親は生存していないだろうという覚悟はしていた。
彼は腐っても…例えただの農民だとしても、覇王の娘の夫、覇王の娘婿だ。
これだけの死人を出しているのに保身で逃げ回って生きているような男ではない。
伯父にしたってそうだろう。
例え普段はヘタレていても、覇王のたったひとりの息子だ。
でもロヴィーノは?
農民として生まれ育った父を持つただの子どもだ。
痛いのも苦しいのも面倒くさいのも嫌いと公言していて、逃げ足が速い事が特技で……
ああ、そうか。
逃げ足が速すぎてきっと東ライン軍の人間も保護できていないのだ。
そこでそう思いあたってホッとした。
そうだ、きっと地下の貯蔵庫にでも隠れているに違いない。
その時、村人達の遺体を荼毘に付したいが、その前に生き残っている者達の中に身内がいれば形見になるようなものがあれば…との兵の言葉に、アントーニョは生存している老人子どもを確認、それから遺体が集められた広場へとむかった。
まず父の遺体が目に入った。
農民の割には奮闘したらしい。
随分裂傷を追っていた。
自分がもし村に残っていたとしても、全員を守れるわけではないし、おそらく他に老人や女性、子どもがいる時点で、彼は守る対象から外れていただろうし、やはりこうなっていたことは想像にかたくない。
だから悲しくない…と言えばそういうわけでもないのだが、仕方ないと割り切れた。
伯父…そして伯母の遺体は悲しい以上に憤りを感じるものだった。
ある意味フランがいち早く自分の母の命を絶ったのは正しい判断だったと思う。
女性はこう言う時命以上に大事な尊厳を踏みにじられる。
眉をぎゅっと寄せて震わせたアントーニョのこぶしに労わるようにソッと触れ、フランシスは自分が羽織っていた上等のストールを色々で汚れた伯母の遺体にかけてくれた。
あの時自分はここに残るべきだったのかもしれない……
確実に守るべき相手が晒している惨状に、アントーニョの脳裏にはそんな思いがよぎったが、それを察したようにフランシスが
「お前が残っていたとしてもさ…この数の敵がいきなり来たら終わってたし、そうしたらさっきの子ども達だって助からなかったよ。
東ライン軍に救援を要請したのは正しい判断だ」
と、寄りそうように言ってくれる。
実際はわからない。
でもそう声をかけてもらえることで少し気が楽になったのは確かだ。
ぱちぱちと薪が萌える音は今までならどこか温かくホッとするものだったが、今はこのひどく寒い状況で重い足を進めるためのわずかばかりの道しるべ的役割を担っている熱さにすぎない。
フランシスが淡々と身内が残っている者いない者にわけ、兵士がいない者からとりあえずこの炎で荼毘に伏していくうちに、アントーニョは積み上がった遺体の中に探していた者をみつけて、へなへなと地面に膝をついた。
――ロヴィ……ロヴィーノ………
伸ばした手は当然届かず空を切る。
大事な大事な従兄弟だった。
覇王の1人息子の家に生まれた双子。
誰もがその才能に期待したのだが、覇王の子孫としての才能は受け継がず、かといって弟のようにコミュニケーション能力や芸術などの才に秀でいたわけでもない、ただただ普通の能力の子どもだった事が彼の悲劇だった。
祖父と、そして色々器用な弟と比べられ、どんどん感情を素直に出す事が出来なくなって行くロヴィーノは、しかしアントーニョにとってはそんな不器用なところが可愛い従兄弟だった。
痛いのも辛いのも面倒なのも嫌いなはずじゃなかったのか…。
あほやなぁ…
アントーニョは涙を零しながら、心の中で呟いた。
誰がヘタレて罵ったって、親分は褒めたったのに…
偉いなぁ、あんなところから無事逃げおおせたロヴィはすごいなぁて…
覇王の孫やからって英雄になんてならんでもええねん。
命あっての物種やろ…。
死んでもうたら仕方ないやろ…。
フェリちゃんを逃がした時…ほんまは自分の方が逃げたかったんやろうな…
それでも弟を逃がすため送りだしたんやろうな…
きっと恐怖に震える手で…怖がりのくせに…
ほんま、アホな子ぉやな…
ロヴィーノは呼吸を止めているだけではない。
その遺体はおそらくフランシスと同じような事が起こったのだろう痕があり、頬は涙で、体は諸々のもので汚れていた。
いつも自分は甘える先のないロヴィーノが唯一甘えられる兄貴分で親分だったはずなのに、一番大事な時にその命どころか尊厳も守ってはやれなかった。
そう、側にすらいてやれなかったのだ。
地面に額を擦りつけて自分を悔いて泣くアントーニョの肩からソッと外套を脱がせると、フランシスはその母親にしたのと同様にその痛々しい亡きがらにかける。
そうしてアントーニョの人生でもっとも長い夜が更け、明けて行ったのだった。
結局村で生き残ったのはアントーニョとフェリシアーノ、そしてフランシスを除けば、二組の老夫婦と10人ばかりの幼子で、それで村が成り立つわけもない。
老夫婦と子ども達は中央部の施設で、そしてフェリシアーノは同じく中央部で暮らす従兄弟であるアントーニョの兄、エンリケの元で暮らす事になった。
そして残ったアントーニョとフランシスはと言うと…出来れば自分達の手で始末をつけたかったが子ども二人で敵うはずもなく、隣村から駆けつけたギルベルトに頼み込み、しばらくは南部の西ライン軍の傭兵隊の残党狩りにいそしんでいた。
こうして祖父の戦斧を振り回しているうち、兵の中にその斧の出元に気づく者が出て来る。
覇王の戦斧…
それを振り回しているのがその孫だと言う事は瞬く間に伝わり、それが明らかになると途端に手のひらを返したように大人達の態度が丁重になった。
確かに覇王の孫を抱えているとなれば軍としても色々良い事も多いのだろう。
すぐ東ライン軍の中枢からスカウトが来たのはまあ良いとして、呆れた事に西ライン軍からも書状が届く。
いわく、あれは雇った傭兵のしでかしたことで西ライン軍としては非常に遺憾であり、出来れば軍に特別待遇で迎え入れたいというもので、当然ながらアントーニョはその使者を切って捨てて、その首と一緒に断りの書状を送りかえした。
では東ライン軍に入るのか…というと、それも一番最初に救援要請に行った時の態度と手のひらを返したような応対を見ると、素直に首を縦にふる気にはなれない。
そんな時思い出したのは、
――法ってのは軍のためにあるわけじゃなく、人のためにあるんだろ
と、当たり前に見ず知らずにアントーニョの願いを聞いて救援の軍を出してくれた紅い目の少年だった。
「軍に入ったってもええで?
ただし出動すんのはあの赤目のぼっちゃんの指揮の時のみってことでええならな」
普通ならとんでもない条件だが、腐っても東西ライン軍を相手に一歩も引かなかったという伝説の覇王のお孫様だ。
その条件は受け入れられ、現在に至る。
あの時自分は大事なモノを失ったが、ギルベルトが動いてくれなかったら今残っているモノも含めた全てを失っていただろう。
軍は自分を形式で扱おうとしたが、軍や法という無形のものより人を優先すべきとしたギルベルトの判断で自分はまだ生きているのだ。
厳しい環境、難しい立場でギルベルトがそれを見失いかけているとしたら、今度はそれを覚えていて指摘してやるのは自分の方だろうと思う。
(とりあえず…先にギルちゃんのちびちゃんの方かいなぁ…)
軍事作戦など知ったことではない。
やりたい奴がやればいい。
それより大事なのは仲間が幸せに暮らせることだ。
こうしてアントーニョは契約を盾に作戦参加を堂々と拒否して、自分が優先すべき事を実行するために、ギルベルトの部屋へと向かったのだった。
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