巫女姫、3次元に降臨す
「ああ、イベント始まったみたいですね…。
口惜しいっ!私、はがき100枚送ったんですよ、イラスト付きで。
あそこに座っていらっしゃる方々って一体何枚くらい送って抽選に当たったんでしょうね」
突然沸き起こる笑いに『エルサイア・オデッセイ』の人気サークル《塩じゃけ》の作家である本田菊は悔しさを噛みしめた。
行きたかったっ!本当に行きたかったっ!
菊にとっては『エルサイア・オデッセイ』自体も自ジャンルで素晴らしい名作だが、それ以上にその実写化にあたって主役を演じる事になったギルベルトはかけがえのない相手だ。
今でこそ人気作家として名を馳せ、『エルサイア・オデッセイ』のファンであると言う事は当然ネットでもリアルでも公言している菊だが、4年ほど前、このアニメを見て感銘を受けた頃にはひっそりこっそり愛でて萌えている系のオタクだった。
なにしろ幼い頃から暗い、目立たない、もっとハキハキと物を言え、子どもらしく明るく楽しく外遊びをしろ、休み時間に漫画なんて読んでいるのは恥ずかしい事だと言われ続け、好きな物を好きと語る事すらできず鬱々と過ごしていた時、当時は全く縁のないと思っていたキラキラしい人気アイドルが堂々と
『エルサイア・オデッセイは素晴らしい名作だぜ?
俺様の理想の女はヒロインの巫女アリアだ』
と、公言したのである。
一般的にはアイドルとオタクは相いれない。
なのにギルベルトは堂々と隠す事なく恥じる事無く、『エルサイア・オデッセイ』ファンだと公言したのだ。
本当にありえない事である。
その言葉で菊の周りは若干変わった。
『エルサイア・オデッセイ』が好きなのは暗いオタクではなく、人気アイドルであるギルベルトと同じ変わり者、くらいには世間の目が優しくなった。
自分よりもずっと発言で影響が出るのであろうに、好きな物を好きと堂々と発言する、
(ええ!そうなんですよっ!『エルサイア・オデッセイ』は名作なんですよっ!)
と、自分が声を大にして言いたかった事を全国に向けて発信してくれたギルベルト。
それから菊は表に裏に、彼の事を『心の師匠』と呼んで尊敬していた。
そんな事もあり、勇気づけられた菊は萌えの赴くままに『エルサイア・オデッセイ』の二次創作を描き続け、いつしか壁と呼ばれるジャンル最大手のサークルにまで成長した。
そしてついにTwitterでギルベルトからフォローを返される数少ない相互フォロワーになり、今回も新刊の取り置きを直々に依頼されている。
だからこそイベントには絶対に行きたくて寝る間も惜しんで一枚一枚丁寧に描いたイラスト付きのはがきを100枚送ったのだが、残念ながら抽選には外れてしまった。
まあ…しかしながらギルベルトはあとで取り置いておいた新刊を取りにくるだろうから、話は出来るだろう。
その時に菊からはとっておきのサプライズがあった。
「あー、写真は勝手に撮らないで下さいねっ」
と、自身の隣にカメラを向けるファンに注意を促し、隣の席に目を向け、そして菊は微笑んだ。
そこにはアリアがいる。
正確にはアリアそのままのコスをしてもらった友人が……
アーサー・カークランド。イギリス人。
こう見えても男である。
出会ったのは3年前。
菊が足を骨折して入院した時に同室だったのが喘息と脱水症状を併発して運びこまれたアーサーだった。
外科と内科…本来は同室になるはずがない2人だったが、ちょうど内科の病室が埋まっていたらしく、たまたま運びこまれて出会ったという事に菊は運命を感じた。
透き通るように真っ白な肌。
くすんだ金色の髪。
なにより同色の長くクルンとカーブした豊かなまつげに縁取られた夢見るような新緑色の丸く大きな目。
髪がもっと長くてサラサラで、人形のように愛らしい顔に不似合いな太すぎる眉毛さえなければ、それはまるで三次元に舞い降りたアリアだと菊は思った。
人見知りでなかなか馴染んでくれないが、いったん心を許し始めると実に細やかで優しい性格をしているのもアリアそのままだし、趣味はガーデニングと刺繍などの手芸全般とアリアのイメージにぴったりだ。
1週間ほどの入院で退院したあともアーサーはしばしば自分で育てたのだと言う花を持って見舞いに訪ねて来てくれたし、菊も退院したあとはラインやTwitterなどで交流を続けていた。
もちろん大好きな『エルサイア・オデッセイ』の事もそのヒロインについても話して聞かせたし、アーサーはその手の事に偏見はないようで、自分がヒロインのアリアに似ていると熱く語られる事には少し困った顔をしていたものの、話自体は原作の漫画もアニメも見て色々話してくれるようになった。
絵も上手なのでたまに原稿を手伝ってもらう事すらあるくらいだ。
今回は菊がとある国家試験に合格したお祝いに何かくれるというのでアリアの格好で売り子をして欲しいとねだったら、非常に複雑な顔をされたものの了承してくれた。
アーサーいわく何でもと言ってしまったので『男に二言なし』らしい。
(ああ…アリアたんっ!思いきってねだってみて正解でしたっ!)
と、隣に座るサラサラと広がるドレープの真っ白なドレスを着た巫女を見るたび頬が緩む。
実は…今アーサーが被っているヴェールも去年のクリスマスにアーサーにねだって作ってもらったものである。
ふんわりと薄いチュールの端を縁取るレースはアーサー自身が編んでくれたもので、本当に匠の技だと思う。
ドレスは菊が腕によりをかけて作った。
そしていつもアリアが吹いていて、攫われた時など主人公のカインがその音を目印に助けに行ったり罠にかかったりするオカリナの装飾も原稿で忙しい合間を縫って菊が作った物である。
本当に本当に完璧なアリアで、サークルを訪れたり通りがかった人がみな振り向いて行く。
――おい、あれっ!!
――まじアリアたんっ!!
――さすが塩じゃけの菊さんのサークルっ!ぱねえっ!!
こそこそと…あるいは堂々と呟かれる讃辞に菊は内心
(そうでしょう、そうでしょうっ!
普通の格好してたってリアルアリアたんなんですからねっ!
ちゃんとした格好してたら魔王は攫いに、カインはお迎えに来ちゃう勢いですよっ!)
と、ほくそえむ。
撮影はNGにしているが、それでも写真をという人間が後を絶たない。
そのくらい完璧なアリアだった。
そう、それがとんでもない事態を引き起こす事は菊ですらこの時はまだ想像もしていなかったのではあるが…
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