アントーニョは理由をみつけてはイングランドに渡って時を過ごしている。
国の化身であるアントーニョが自国スペインよりともすればイングランドの地にいる事の方が多いくらいになると、さすがに上司も良い顔をせず、最近ではなかなか渡英を許可されないが、今回は、何度も流産死産を繰り返した自国の王女が、もうすぐ何度目かの出産を迎えるからと、半ばこじつけのような理由で、アントーニョは自国スペインからイングランドへ渡った。
イングランドの冬は寒い。
しんしんと雪が降り積もる中、イングランドの城に到着したアントーニョは部屋に案内されるのを待つことなく、
「イングランドは?どこにおるん?」
と、出迎えた使用人に聞く。
礼拝堂に…との返答を得て急ぎ向かったその場所は吐く息が白くなるほどの寒さで、そんな中に一人膝まづいて神に一心に祈っている天使がいた。
「風邪…ひいてまうで」
アントーニョは自分のマントを脱いで、すっかり冷え切った細い肩にかける。
「…アントーニョ…来てくれたんだな」
ゆっくりと振り向く白い姿。
「…少しやつれたんちゃう?無理したらあかんで」
と、眉をひそめるアントーニョに、アーサーは大丈夫だと笑みを浮かべるが、もともと細い身体が一回りも細くなった気がする。
「何祈っとったん?」
悩みでも?と聞いても絶対に明かしてはもらえない事はわかっているので、そう聞いてみると、アーサーは少し伏し目がちに
「今度こそ…無事お世継ぎが生まれると良いと思って…」
と、答えた。
そんな事の為にこんな寒い中で祈っているのか…と、はるか昔にそんな気持ちをなくしてしまったアントーニョは感動を覚える。
国は確かに国民でできているし、国の化身である自分達は国民の影響を多大に受ける。
しかし、必ずしも国民の気持ちがイコール国の化身である自分の気持ちであるかと言うとそうではない。
もちろんアントーニョとて純粋に国民を思う時が皆無かといえばそうではないが、悲壮な様子で心を痛めるほど、日々感情移入をしているわけでなかった。
「まだ幼いくらいの年齢で他国に嫁いで最初の配偶者を数カ月で亡くして…その後、その弟と結婚させられてと、決して恵まれた状況じゃなかったのに、キャサリン様は本当にこの国に尽くしてくれている。なのにお子に恵まれないというだけで、最近少し不穏な空気があって……」
どうしても跡取りが欲しいイングランドの上司が、跡取りを産まない他国の王女を疎んじ始めているという話は、アントーニョもうすうす聞いていた。
人間同士の男女間など正直どうでもよかったが、それで両国の仲が疎遠になるとなれば話は別だ。
確かにゆゆしき事態ではある。
しかしアーサーが危惧しているのはそういう意味合いではないのだろう。
純粋な他国の王女に対する感謝と心配…。
みかけだけではなく、本当に痛々しいまでに真っ白な存在。
この欲と策略に塗れた世の中で、いつか消えてしまうのではないかと怖くなる。
「大丈夫や。これだけ祈っとるんやから、次こそきっと無事産まれるわ」
アントーニョが冷え切ったアーサーの体を抱きしめると、アーサーは
「…だといいな…」
と、小さくうなづいた。
それから数日後…生まれたのは女児だった。
赤ん坊が無事産まれたと言う事に喜ぶアーサー。
「可愛いな。本当に可愛いな」
と、ただひたすらに自国の上司とスペインの王女の間に産まれた赤ん坊を抱かせてもらって顔をほころばせる。
そんな風にただ純粋に喜んでいるアーサーは気付かないようだったが、アントーニョは、ああ、これはまずい方向に行くかもな…と思った。
ここ数日赤ん坊を見に来るアーサーにつきあって一緒に来ているが、赤ん坊の父親であるはずのこの国の王が顔を見せたのをみたことがない。
おそらく王が望んでいたのは跡取りの“王子”で、嫁いで10年以上も子供を授かれなかった上にようやく産まれた赤ん坊が女児だった事で、見限られたのかもしれない。
王は次の妃候補の目星をつけている…という噂もある。
基本的にはカトリックであるスペインでは離婚が認められてはいないものの、国の存続をかけた跡取り問題がかかっているとなれば、最悪イングランドのスペイン、カトリックからの離反も考えねばならない。
正直そんな人間同士の争いなどどうでもいい。
問題は…自分がここに足を運べる理由がなくなるかなくならないかだ。
アントーニョはソッと赤ん坊の部屋を抜け出すと、廊下を行く使用人をつかまえて王の居場所を聞いて、謁見を申し込む。
向こうもやましい所があるのだろう。
急な申し出ではあったものの、あっさりと執務室に通された。
「まどろっこしいのは好きやないねん。単刀直入で悪いんやけど、自分キャサリンと離婚したいと思っとるんやろ?」
勧められた椅子を手短に話したいからと断ってドアにもたれかかってアントーニョが始めると、あまりの直球な質問にイングランドの王は顔色を青くして言葉をなくした。
「その様子見ると図星やんな?ま、うちんとこの上司は怒るかもしれへんけど、俺個人はそういう人間の仕組みには正直興味ないねん。自分が別の若い女と子供こさえたって別にかまへん。
ただイングランドが完全に離反てなると、あんま歓迎できひん。
俺ら長く生きとる国やから、瑣末な事より大局見なあかんてことはわかるんやけど、人間は“今”を生きとるからな。そういう割り切りできひんこともあるやろ。
せやから取引せえへん?」
「取引?」
イングランドにしても大国スペインと真っ向からやりあうのは得策ではない。
イングランド王はあっさりと食いついた。
「そう。取引や。今回どういう形にするにしても、そっちから頭下げて嫁に下さい言うて嫁にしたうちんとこのお姫さんと別れて別の女と子供こさえますなんて言うたら、攻め滅ぼされてもしゃあないくらいやん?
実際、それ言うたらほんまにそういう話出ると思うねん。それは俺が抑えたる。
そっちから刃を向けてこん限り、スペインの方からは攻め込ませへん。
そのかわりキャサリンとその子供の命と最低限の身分は保障したり?
こっちにまだ自国の血入った子達がおるからって言う理由で攻め込まんようにさせるから。
たまに俺が二人がちゃんとした生活させてもろてるか様子見に来るわ。
どうや?悪い条件やないやろ?」
その場は返答を保留と言う事にされたが、イングランド王はおそらく条件を飲むだろう。
男子の跡取りは欲しいものの、今大国スペインに攻め込まれたら跡取りどころではない。
イングランドは確実に滅びる。
国のためですらなく、ただ自分だけのためにこんな画策をしている時点で、思い切り神の道から外れているな…と、アントーニョは廊下を戻りながら自嘲した。
まあいい。イングランド王にはくれぐれもこの取引はアーサーには言うなと念押ししておいた。
自分だけなら神の道に背こうが今更だ。
堕ちるのは…自分だけで良い。
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