聖夜の贈り物 6章_4

「この子に……さわんなやあぁっ!!!」
アーサーのお気に入りのトマト畑の一角で、アーサーが不審者に腕を取られていた。

そこでアントーニョは思った。
訂正するっ!自分の認識は甘かったっ!
アーサーはボ~っとしている間に捕まって、慌てて涙目で抵抗するタイプだと思っていたが、それ以下だ。
半ば涙ぐんだ大きなエメラルドの瞳には確かに驚きと怯えが読み取れるものの、恐怖の限界を超えたのか抵抗すらできずに放心している。


不審者が…いや、自分以外が自分の大切なあの子に触れている、連れ去ろうとしている。そう思うと体中が総毛だった。
大切に大切にしていたところを土足で踏み荒らされた怒りに、何か激しい感情がふきあげてきて、アントーニョは一分のためらいもなく、アーサーの腕をつかんでいる賊の右手に向かって剣を振る。

賊が慌てて手を離して飛びのいたため薄く皮膚に傷を付けたにとどまったが、とりあえずアーサーを取り戻せた事にホッとして、まだ放心状態のアーサーを自分の後ろにかばった。

そのまま間合いを取りにいく賊と距離を詰めたいところだが、アーサーを自分から離すのは危険だ。
そう思っていたところに、自分を追ってきた双子の王子が目に入る。

ロマーノは強くはないが、その危機回避能力と逃げ足はあまたの戦場を渡り歩いてきたアントーニョもみとめるところだ。
それに城に帰って“弟”と再会したのを見て初めて知ったのだが、ああ見えて意外に下の人間は面倒をみてやらないとならないという、兄貴気質のようなものは何故か育っているようである。
アーサーを自分より弱者と認めれば守ろうとしてくれるだろう。

そこでアントーニョは
「ロマの方へ逃げときっ!!」
と、アーサーを後ろへうながした。

するとロマーノはその期待を裏切らず、その場をなお動けないでいるアーサーの腕をつかんで、自分の後ろへとかばってくれる。
あの何もできない子供と思っていたロマーノが、ずいぶん立派な男に育ったものだ、と、アントーニョは誇らしい気分になった。

「さて…人のもんに手ぇ出そうとした礼はさせてもらうで…」
と、アーサーの身の安全が確保できたところで、アントーニョは再度賊に全神経を集中させる。

敵は魔術師…。
魔術師自体は東の国との戦闘で何度かみかけたことはあるが、常に護衛に囲まれて後方にいたため、直接対峙したことはない。
ゆえに詳しくはないのだが、どうやら今まで見てきた魔術師とは少し様子が違うようだ。
戦場で見た魔術師が持っていたような長い杖はたずさえてない。
代わりにメイスの先に宝玉をつけたような短い杖を持っている。
どう違うのだろうか…
「まあ知らんもん考えてもしゃあない…どっちにしろ殺るしかあらへんしな」
アントーニョは間合いを詰めようと敵に向かって走り出した。

魔法は確かに強力だ。
単純に殺傷力で競うなら、普通の攻撃など比べ物にならない。
ただ、その分、軽々しく使えない。
呪文詠唱に時間がかかるはずだ。
こちらの武器はいつもより数段小さく頼りないが、魔術師相手なら詠唱前に倒してしまえばなんとかなるだろう。

そんな目算のもと迷わず一気に間合いを詰めに走ったアントーニョだが、あと数mでなんとか武器が届く間合いに入ろうとしたところで、自分の考えがあまりに甘かった事を思い知った。

なんとあと数秒は完成しないであろうと思っていた呪文が、ありえない速さで完成していたのである。
しかも自分の方はと言うと、相手の魔法の間合いに入ってしまっていて、複数本飛んでくる魔法の矢を避けるのは不可能だ。
瞬時に悟ったアントーニョはとりあえず完全に避けられないまでも、致命傷になりそうな場所だけかばおうと、体制を整えるためいったん足を止めて矢が飛んでくるのを待った。

呪文完成と共に敵がさらに後方へと退却しているのが目の端にうつったが、追うどころではない。
すぐに来る衝撃に耐えるため、手で体をかばうようにして目をギュッとつむる。

………

やがてアントーニョに触れた感触は、矢のような鋭利なものではなかった。
(………?)
自らの体を抱えた腕に何かが当たる。

目をあけた瞬間…時間が止まった。
何が起こっているのか、頭が考える事を完全に拒絶する。

「……なん…で?」

体中の血が凍りつく。
そして次の瞬間…心が壊れる音がした…

かすれた声で問うアントーニョに、目の前のアーサーはふわりとそれは綺麗にほほ笑んだ。
この世の純粋で無垢なもの、柔らかいもの、綺麗なものを全て集めたような微笑み。
しかしその綺麗な金色と白で構成されているアーサーは、初めて見つけた時のように血で赤く身を染めている。

血が流れるのと呼応するように、するりとアントーニョをかすめるように崩れ落ちて行くその体を、アントーニョは慌てて支えた。

痛い…つらい…苦しい…息が…できない…
およそありとあらゆる苦痛という苦痛が実際には怪我ひとつしていないはずのアントーニョの体中をむしばんでいく。

不安と恐怖でまともに思考が働かない。
ただゆるやかに命がうしなわれていく感覚だけがリアルに感じられた。
綺麗な綺麗な大切な花が散って行く。
止めようにも花びらは散る事をやめず、手のすきまからおちていく。

「嫌や…嫌や、置いて行かんといて!嫌や~~っ!!!!!」
悲鳴をあげたのは喉だったのか心だったのか…

「…めん……」
(…かみさま…かみさま…おねがいや…)
「…トマ…ト…実っ…ら……」
「やめたってっ!すぐ手当てしたるから、しゃべらんといて!!」
ひゅーひゅーと細い息の下で紡がれる言葉はもう小さすぎて、半分も聞き取れなかった。

(かみさまどうか…お願いや!…返すからっ…もらったもん何もかもぜ~んぶ返すからっ……身分も家も畑も…手も足も体も目も鼻も口も…なんなら俺の命全部返したってもええから…他には何も要らんから取り上げんといて!!この子だけは取り上げんといて!!)

こんなに必死に神に祈ったのはどのくらいぶりだろうか。

「死なんといて、お願いや、死なんといて…」
服を剣で切り裂いて必死に止血をするものの、傷が多すぎて血が止まりきらない。
子供のようにしゃくりをあげながらそれでも止血を続けるアントーニョの手はあっと言う間に赤い血に染まった。

「だめや…止まらん…」
止血する布がどんどん赤くにじんでいくのをアントーニョはなすすべもなく見守る事しかできなかった。

「……ぎょうさん殺してきたからか…こんな汚れた手ぇ合わせたってかみさまは聞いてくれへんのやろか…」
赤く染まった自分の手は、そのまま血に汚れた自分の人生を思わせる。

アントーニョはうつろな目を目の前のアーサーに向けた。
「この子は汚れてへんのに…こんなに綺麗やのに……」

こんなに綺麗で無垢な存在を犠牲にしてまで汚れきった自分が生きる価値なんてどこにあるのだろう…と、アントーニョは思う。
それともこれはたくさんの人間を殺してきた自分への天罰なのだろうか…
それなら自分に直接向けてくれたらいいのに…と、思った。

「かみさま…もう堪忍や…。耐えきれへんわ、ほんま…。こんなん耐えられへん。」
アントーニョはうつむいてポロポロ涙をこぼした。

「いっそのこと俺も殺したって…頼むわ…今すぐ殺したってや…」

アントーニョが泣きながら血を吐くような思いでそうつぶやいた時、上からバサバサっと何かが降ってきた。

「諦めちゃだめだ、大切なものは絶対に諦めちゃだめなんだよ、アントーニョ兄ちゃん。」
いつのまにか薬草を集めてきていたらしいフェリシアーノは、アントーニョの隣に座って土で汚れた手を濡れタオルでぬぐうと、目の前に並べた大量の薬草をもみつぶし始めた。

「2日…ううん、兄ちゃんが頑張って急いで城についてくれたら1日持たせれば助けられるからっ。頑張ろう、アントーニョ兄ちゃん」
言いながら慣れた手つきでフェリシアーノは止血した布の下につぶした薬草を塗りこんでいく。

「俺はね、諦めちゃったんだ。それを今も後悔してるから。もう絶対に諦めて後悔しないって決めたんだ」
そういうフェリシアーノの表情はいつものほわほわとした頼りなさがなりをひそめ、なにか強い決意のようなものをうかがわせていた。 






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