聖夜の贈り物 5章_2

「あとどのくらい時間があるかな…」
いつものトマト畑でアーサーは今日も魔法をかける。

まだ有用な情報を得られていないからと思っていたら、ずいぶんと時間が経ってしまった。
いや、嘘だ。
長く時間をかけたところで、どうみても裏も策略もないアントーニョから有用な情報を得られるわけないということは、本当は分かっている。


情報の有無なんて言い訳だ。
自分は単に今の暮らしを手放したくないだけだ。
アーサーはその場にしゃがみこんで、両腕に顔を埋めた。

初めて経験した暖かい生活だった。
当たり前に差し出される優しい手、注がれる優しいまなざし。
そんな大事な思い出を綺麗なまま抱えて生きていけるよう、そろそろ決断しなければならない。


期限はこのトマトが色づくまで。
そう決めたのは数日前。
短い気もしたが、あまり長いと何かのきっかけで正体がばれる可能性がある。
それだけは避けたかった。


そんな決意をしたためか、ここ数日はあまり眠れていない。
このままここで眠って目が覚めたら、自分から根が生えてトマトに生まれ変わってたらいいのに…とか、わけのわからない事を考えた。



ああ、疲労で頭がおかしくなっているのか…。
だから聞こえるはずのない声が聞こえる。

(…チビちゃん、見逃してあげるのもそろそろタイムリミットだよ。今なら知らないふりをしてあげる…。でもこれ以上こうしていたら、僕が知らんぷりをしていても怖~い兄さん達にきづかれちゃうよ?)

ああ、これは…心の声?
末の兄、ウィリアム兄さんの姿を借りた心の声なのか…。
と、半分寝ぼけた頭で思う。

ウィル兄さんはまだ優しい。
能動的にはいじめてこない。
もちろん他の兄さん達にいじめられてもかばってくれたりはしないのだけど…。

好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だなんて言葉を聞いた事があるけど、嫌いより無関心の方が痛くないから好きだ…。
他の兄さんも嫌いより嫌いでいいから、ウィル兄さんみたいに無関心でいてくれればいいのに……

「チビちゃん?寝てるの?」
不意に声がリアルに耳に響いてくる。
と同時に腕を掴まれる感覚。

「う…うあああああ!!!!!!」
一瞬状況がつかめず、アーサーはパニックを起こして悲鳴をあげた。
「ちょ、うるさいよ、チビちゃん」
顔をしかめて片手で片耳をふさぎながらも、末兄ウィリアムの手はアーサーの腕をしっかりつかんだままだ。
夢じゃないっ。

しかしそれが現実だと半分認識できてもいないうちに、今度は黒豹のようなしなやかな影が一気に距離をつめてきてアーサーの前に立ちはだかる。そしてその手におさまっている白い刃がアーサーの腕をつかむウィリアムの手をとらえた。

ヒュン!と空を切る次の一太刀を避けると、薄く傷をつくった右手を左手でかばいつつウィリアムは慌てて一歩距離を取る。

「ロマの方へ逃げときっ!!」
一瞬で背筋が凍りつくような殺気をみなぎらせて剣をかまえているアントーニョがそう言ってアーサーを軽く後ろへおしやった。

アントーニョはいつも馬鹿みたいにおひとよしで穏やかで…こんなアントーニョは知らない。見た事がない。
いつの間にいた?どこまで状況を把握してる?バレた?
さらにパニックを起こして立ちつくすアーサー。

「さっさとこっちこいっ!」
と誰かがさきほどまでウィリアムが握っていた腕のあたりをひっぱった。
さらに予想もしていなかった方向からのアクションにたたらを踏む。
魔術師は基本的に突発的事態には弱いのだ。

しかしものごとには常に例外はいる。
ウィリアムがそうだった。

4兄弟の中では魔力が弱くて、魔法自体の威力はそう強くはないウィリアムは、だが、その分感覚が“普通の兵士”に近い。

アーサーを初めとする多くの魔術師が、前方に敵のいない所で、もしくは前方の敵を防いでくれる味方がいるのが前提で、ロッドと呼ばれる大杖を媒体としてある程度詠唱に時間をかけるのと対照的に、ウィリアムは片手で扱えるウォンドと呼ばれる小杖ですばやく魔法を使うという、威力は小さいものの隙の少ない戦闘スタイルを好む珍しいタイプの魔術師だ。

今もアーサーをかばうように一瞬立ち止まるアントーニョの隙をついて距離を取り、怪我をした右手にすばやく出した小型の杖を握ると、もう魔法の詠唱に入っている。

それだけはどれだけ動揺していても目に入ってくる魔法装備は、この時も当然アーサーの目に飛び込んできた。

ウィリアムは攻撃を増幅する赤石や防御を増幅する青石は一切身につけていない。
額のサークレット、両手のブレスレットと指輪、胸元、両足のアンクレットに至るまで全て速さをつかさどる白石。
スピードのみに重点を置いた装備な上に、ご丁寧に詠唱も素早い風系魔法だ。

魔法は威力は大きいものの詠唱時間がかかり隙が多いため、ソロの近接戦闘ではまず勝ち目はないと言われているが、ここまでスピードアップに特化すれば話は別だ。

よく知られる魔法攻撃のように複数人を一瞬で倒すほどの威力はないものの、対単体なら十分物理攻撃の相手に対応しうる殺傷力と速さを持つ。

そして…恐ろしい速さで完成する呪文に対応するすべは、まだ武器が届く間合いに入っていないアントーニョにはない。
さらに悪い事にはウィリアムの魔法が届く間合いには十分はいってしまっているため、アントーニョの方は攻撃を避ける事もできない。まともに食らう。
それだけを一瞬で見てとったアーサーは眼を大きく見開いた。

死んじゃダメだ、死んじゃダメだ、死んじゃダメだ!!

人が良くて皆に好かれていて皆に必要とされていて皆にとって大切な王子。
そんなアントーニョと、そのアントーニョの善意につけこんでだましている、ただの嫌われものの魔術師一家の妾の子の自分。
どちらがこの世にとって必要かなんて、誰の目にも明らかだ。

魔術師である事がばれるとかそんな事はもう頭から消えていた。
誰よりもよく知っている自分自身限定で、数メートルくらいの短距離なら媒体を持たない状態でもなんとかできるはず…

心が悲鳴をあげるように紡いだ短い詠唱がきちんと発動した事がわかったのは、悲痛な目をしたアントーニョが一瞬うつったから。
胸の痛みなんかこのところずっと感じすぎてて、それが精神的なものなのか物理的な痛みによるものかなんてわからない。



瞬間移動…。
近距離とは言え、詠唱時間もなく魔法を安定させる媒体もない状態で、こんなにピンポイントにアントーニョの前に移動できるなんて、さすが俺…だてに人生の半分以上を魔法の訓練に費やしてない…。

アーサーは一瞬そんな現実逃避的な事を考え…次の瞬間現実を想った。
耳はすでにもうよく聞こえない。目ももう見えない。
ただうっすらと、いつも穏やかな声音で話すアントーニョが声を荒げていることだけが認識できる。

ああ…ばれちゃったな…あれだけ親切にしてもらったのに騙してたんだ、さすがに怒ってるか…。
苦い感傷が胸にこみあげる。

薄れ行く意識の中想う……

(……迷惑かけてごめん、何も返せないでごめん、傷つけてごめん……。
…もう…消えるつもりだったんだ…トマトが実ったら……トマトが実ったら黙って消えるつもりだったんだ……迷惑かけないように……消えるつもりだったんだ…。)

自分の体なのにどこまで動いているのかわからない。
伝えられたのか伝えられなかったのか…それすらもうわからないまま、アーサーの意識は闇の中に落ちていった。 






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