聖夜の贈り物 4章_2

「ご馳走様」
と、普段は素直になれないが、これだけはアーサーもきちんと手を合わせて言う事にしていて、今日もいつもの通り手を合わせる。


王族のくせに何故か家事全般一通りできるアントーニョと違って、家事など全くやったことのないアーサーは何もできないため、日常の家事は全てアントーニョにお任せだ。
もちろんアーサーもただの居候から脱却すべく練習しようとしたのだが、水と卵を鍋に入れて火にかけるだけのはずの茹で卵を作ろうとして何故か爆発させて以来、キッチンへの出入りは固く禁じられている。
せいぜいアントーニョに沸かしてもらったお湯を使ってリビングで紅茶をいれるくらいしかさせてもらえない。

だからせめて『美味しかった』の言葉とか、感謝の意くらいは添えたいとは思うものの気恥ずかしくてできない。

その分、そんな美味しかった、ありがとうの気持ちを目いっぱいこめて口にする
「ご馳走様」
というたった一言の短い言葉。
それでもアントーニョはそんなアーサーの気持ちを全部わかってくれて、嬉しそうに
「お粗末さん」
と返すのが日常だ。


食事が終わっても魔道書がつみあげられた部屋に閉じ込められる事も、戦場に飛ばされる事もない。
それが役に立つものであろうとなかろうと、アントーニョはアーサーが興味を示した物は嫌な顔一つせず用意してくれる。アーサーはここにきて初めて趣味と言うものを持った。
このところ特に気に入ってるのは茶葉のブレンドと刺繍だ。
実家にいたら役に立たない以前に女みたいな事をと蔑まれそうだが、アントーニョは馬鹿にする事もからかう事もせず、『美味しいなぁ』『綺麗やなぁ』と笑顔を向けてくれる。

無条件に許容され、注がれる慈愛。
心地良い…と、慣れてしまうのはたやすいが、これは期間限定なのだと言う事を忘れないようにしなければならない。
享受しながらも、いつかくる終わりに傷つかないように、完全に心を預けてしまわないように…と、自戒の意味を込めて、アーサーは一定の距離を取る努力を続けている。

逆に考えれば…それは意識的に自戒しなければ、情が移ってしまう程度には今の状態を心地よく感じてしまっているのだということでもある。

「ちょっと風に当たってくる」
と、暑いのは苦手なのにしばしば畑に行くのもそんな気持ちの表れだ。

「ん、いっておいで。気ぃつけてな。ほら、帽子もかぶっていき」
食後の食器を洗っているアントーニョに声をかけると、エプロンで濡れた手を拭きながらアントーニョがかけよってきた。そして
「あんま遠くへは行かんといてな、心配やから。遅くならんうちに帰ってくるんやで」
と、帽子をかぶせながら顔を覗き込んでくる。
アーサーと同じ…いや、若干濃いグリーンの瞳に宿る心配そうな色に、落ち着かないものを感じて、アーサーは
「わかってる」
とアントーニョと目を合わせないように背を向けた。

落ち着かない理由はわかっている。これは恐怖だ。
嫌われるのは慣れている。
でも今は慣れているはずのそれが怖い。
初めて向けられた好意が嫌悪に変わるのが怖い。
深く想ってくれた分、深く心臓をえぐるような嫌悪に変わるだろうその視線を受け止める自信がない。
でもその時が来るのを避けられないのは、出会ってしまった瞬間から決まっていた事だ。



「さて、頑張るか…」
そんな気持ちを振り切るようにアントーニョの育てるトマト畑に着くと、アーサーはいつものように軽く目をつぶって呼吸を整えた。
そして意識を大気、土、太陽の光などに集中して気の流れを読み取り、自然の状態の気を慎重に慎重に変えていく。
小さく紡がれる呪文。
それに呼応するように、風がトマトの葉を揺らした。
成長の呪文…
太陽光と大地の栄養、それを植物が育つのに限りなく理想的な形態、分量にして注ぎ込み、植物の成長を促す。

一見じみ~~な魔法だが、多数の要素を複雑なコントロールで操るそれは、実は数千単位の敵兵を一瞬で消し炭にするよりも難しい。
東の国随一の魔術師一家の中でも飛びぬけた才能と魔力を誇るアーサーの力をもってしても、一区画分にかけるのが精いっぱいだ。

初めてやろうとした時には効果範囲を欲張って広くし過ぎたせいで魔力を使い果たして、そのまま気を失っていたところをアントーニョに発見されて連れ帰られたくらいに、大変な魔法なのである。

しかしそれを才能の無駄遣いというなかれ。
その一帯のトマトだけは他とは明らかに違う力強い生命の息吹があふれ出ていて、やがて色づいて収穫して食べたら栄養も味も極上の一品になるのが伺える。
一度食べたら忘れられない、そんな特別なトマトができるはずなのである。


物心ついた頃から魔術を学ぶか戦争に駆り出されるかで、ほぼ薄暗い自室と埃臭い資料室、それに血なまぐさい戦場しか知らず、魔術を取ったら何もできないと言っても過言ではないアーサーの精いっぱいがこれだった。

魔術師であると言う事は当然ばれてはまずい事実ではあるから、アントーニョに魔法を使っていると気付かれない貢献というのはこれくらいしか思いつかなかったのだ。

(別に恩返し…とかじゃなくて……借り作ったままなのが嫌なだけなだからなっ!)
と心の中で言いわけをするのはいつものことである。

魔法で育ててる事を隠してる時点で、こんな恩返しにアントーニョが気付くわけはないのだが、それでいい、とアーサーは思う。

そう遠くない将来、アントーニョから西の国に不利益な情報を引き出して帰還する事になった時には、さすがのあのおひとよしもアーサーの事は嫌な思い出になるだろうから。

それでもアーサーの想いがこもったトマト達は決して本人にそれと知られることなく、極上の味で彼をなぐさめ、その完璧な栄養は、彼の血となり肉となり、明日を生きる活力を与えるだろう。

(人生の中で最初で…おそらく最後の愛情を贈ってくれた事に感謝をこめて…。)

と、決して本人に面と向かってなど言えないが、感謝の言葉どころか別れの言葉すら贈れないであろうその時の分までの想いをこめて、呪文の詠唱を終えたアーサーは青々と茂ったトマトの葉にソッと口づけた。




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