太陽を背負って現れた男はそう言って大きな褐色の手をアーサーの頭に置いた。
そのままくしゃくしゃとかきまわすように撫でられる。
呆然としているアーサーの顔を心配そうに覗きこむ瞳は、アーサーのものよりも少し落ち着いた緑色。
真黒な髪の色と合わせたような漆黒の鎧に身を包んだその姿は敵の返り血をあびてところどころ赤く、背にはやはり血にまみれたハルバードを背負っている。
そんな物騒な様相なのに、安心させようとしてかアーサーに微笑みかける顔は優しい。
「親分もうちょぃ頑張ってくるから、そのまま馬車の中におり。出てきたらあかんで」
そう言って最後にアーサーの頭をもう一度なでると、男は立ち上がった。
戦闘の続く後ろを振り返る目は、すでに厳しい戦士の目である。
「あ…」
そこでようやく固まっていた口が動いてくれた。
なんとかふりしぼった小さな声を男は拾ってくれたようだ。
「ん?どないしたん?」
また目が柔らかくなる。
こんな明るく温かな…お日様のような目を向けてくる人間なんて知らない…。
なんだか眩しくて、アーサーは視線をそらした。
「…気を付けて…」
お礼とか色々言うべき事はあるのだろうが、それがやっとのアーサーに男は
「おおきに。」
と太陽のような眩しい笑顔を向けると、また戦場へと身を投じて行った。
アーサーの国、森の国は3つの大国、太陽の国と大地の国、それに風の国に囲まれている小国群の中にある。
取り巻く3つの大国は3すくみ状態であるため大きな動きは滅多にないものの、お互いがお互いの動向に目を光らせながらも、ちょびちょび小国を取りこんで己の領土を広げていた。
そんな中、小国の次男以下は自衛のため、しばしば“友好の証”と称して大国に預けられるのが慣習となっている。
もちろんそれが“友好”になるかは本人次第。
大国が相手国の子供がいても気が向けば普通にその国を攻める事はままある事だ。
ようは…送られた子供が相手に“気にいった相手の国を攻めたくない”と思わせなければあまり意味のない慣習なのだ。
しかし送る側も送る側で、送り先に気に入られるという目的の他に、送り先を陥れるという目的を持っている事もあり、その方法は情報漏洩だったり、暗殺だったりと様々だ。
つまりお互いに信用のならない相手との信用のならない共同生活にすぎないわけだ。
それでもそういう慣習がなくならないのは、稀に上手に信用関係を築ければ、大国は小国の盾になれるし、小国は大国ほどではないにしろ、その国が得られない情報を得たり、関係を知らない国との戦いの際に思わぬ伏兵になったりできるというのと、もう一つ、そんな不安定な間柄で爛れた関係を持つと言うのが、ある種退屈した貴族の楽しみの一環になっているからだ。
送られるのが王子であって王女でないのは、子供ができないという事が大きな要因である。
血筋が重要視される王族の間ではお互いにお互いの血が管理できない形で入ったり漏れたりするのは決して好ましい事ではない。
そういうわけで、アーサーも大国、太陽の国に送られる事になった一人だ。
小国の次男以下に生まれた…という時点でそんな人生が待っているのは目に見えていて、今更損得勘定抜きに好意を交歓するなどという希望を持っているわけではない。
そんなものは小説の中か非常に恵まれた大国の王族の生活の中だけに存在している。
しかし他国に送られるというだけでも人間関係を築くのが得意ではない人みしりのアーサーにとっては十分気が萎えるのに、警戒しているであろう相手に気に入られなければならないという、まこともって無茶な使命を帯びているというのはもう憂鬱どころの話ではない。
そんな事を考えながら預けられ先である太陽の国へ向かう馬車に揺れられていると、いきなり周りが騒々しくなった。
兵士の怒鳴る声と悲鳴。
何が起きているのかと窓から顔をのぞかせると、ヒュン!と顔すれすれを矢が通りぬけて行き慌てて顔を引っ込めた。
ふと隣の太陽の国から寄越された身の周りの世話をしてくれていた女官を見ると、心持ち表情を固くしている。
「敵国なのか?」
と当たり前の問いを投げかけて見たら
「お守りできるよう最善尽くしますよって、ここで大人しゅうしとって下さい」
と、直接的な表現を避けた返答が返ってきた。
3大国は当然ながらお互いにお互いが勢力を伸ばす事を快くは思わない。
こうしてお互いの国へ小国が“友好の証”を送るのを妨害するのも珍しい事ではない。
その後、妨害されて捕われた小国の人間がどうなるのかは相手国次第。
殺されるか妨害した国の方へと送られるか…まあそんな対応が主なところではあるが…。
さてどうする?
妨害している先の国へ送られるとしたら、それは大した問題ではない。
行き先が太陽の国だろうと大地の国だろうと風の国だろうと、アーサーの立場は対してかわりはないだろう。
ただ殺されるとなると話は別だ。
こういう戦闘状態の場合は特に、相手は悪い意味で興奮しているし気が立っている。
普通に殺されるならまだしも、なぶり殺される可能性も否定できない。
アーサーはローブの胸元をぎゅっと握りしめた。
そこには首からぶら下げられたお守り袋がある。
もちろん単なるお守りではない。
各種薬草から毒薬まで…小さな錠剤に固められて入っていた。
それは立場上武器を持てないアーサーの唯一の武器と言っても良い。
毒は主に指示が来た時の暗殺用ではあるが、この状況で多数の兵士を倒すような用途としては当然役に立たない。
この状況ではせいぜいどうしようもなくなった時の自害用にしかならないが、どのタイミングでどうしようもないと判断すればいいのか、外にほぼ出た事のないアーサーにはわからなかった。
そうしてただ胸元に手をやって固まっていた時、いきなり姿を現したのが件の男だった。
敵か味方かも名乗らなかったが、隣の女官がホッとした顔をしているところをみると、太陽の国の人間なのだろう。
「あいつ強いのか?」
と聞いた時、外を気にしながらも女官が
「お強い方ですよ。あの方がいらっしゃればもう大丈夫です」
とうなづいたところをみると、どうやら太陽の国でも有数の将軍か何かなのだろう。
もともと3国の中でも武闘派として通っている太陽の国だ。
それなりの人間が来れば負けはしないだろう。
アーサーはホッと肩の力を抜くと、胸元から手を離した。
「あれ、お姫さん寝てもうたん?」
一晩ほど双方が攻防を繰り広げ、ようやく周りが静けさを取り戻した時、馬で馬車の横を並走しながらひょいと窓から顔を覗かせたのは先程の男だ。
「えろう緊張しはってたみたいやから。お城から出た事ないお子さんが長旅やってだけでも疲れはるのに、こんなんやったら、そりゃあ疲れはりますわ。」
女官はそう言って馬車の長椅子に横たわる少年にかかった毛布をかけなおす。
「あ~、そうなん?まだ他の国に送られた事ないんや?どうりですれた感じがない思ったわ。せやったら色々楽しい事教えてやらなあかんなぁ…」
男の目が柔らかく細められた。
それを見て女官がおや?っというように眉を少しあげる。
「これは珍し。気に入りはったんですか?」
その若干からかいを含んだような口調に、男は苦笑した。
「なんや、普段冷たいような言い方せんといて。親分みんなに親切で優しいやん?」
「身内には…でっしゃろ?太陽の国の黒太子って言えば、えらい容赦ない男って言われてますやん。」
クスリと笑みを浮かべる女官に、男は肩をすくめた。
「他国にまで甘い顔して戦わんとったらうちの国とっくになくなっとるやろ。」
「まあそうやけど……」
「まあでも…可愛ええ顔して寝とるなぁ…」
そこでその話題を打ち切って、男はまた眠っているアーサーに目を向けた。
「さっきな、馬車の中覗いた時、怖かったんやろうなぁ…胸んとこギュ~て掴んで大きな眼ぇ見開いて震えとったやん。あれ見てあかんわ~って思うたわぁ~。あれはあかん」
「ああ、そうですか」
呆れたような女官の声にも構わず、男の言葉は続く。
「なんやろ~めっちゃ守ったらな~って気ぃになるわ~。可愛ええわ~。」
ほ~っと息を吐き出して、それから男はふと、そういえば、と、女官に視線を移す。
「あれから俺の事なんか言うとった?」
ん~…と女官は人差し指を口元にあてて、少し小首をかしげて考え込んだ。
「ああ、親分の事強いのかって聞いてはりましたなぁ」
「で?なんて答えたん?」
少し眉を寄せて聞く男に、女官はあっさり
「強い人やって答えましたけど?」
と答えた。
「その他は…なんか言うたん?」
戦場での強い意志を放つ目が少し心配そうな自信のなさげな光を帯びるのを女官はおかしそうに見やった。
「なにを気にしてはりますのん?」
「ええからっ!自分何か他に言うたん?」
あきらかにからかいを含んだ女官の口調に、男は焦れたようにうながす。
「なぁんにも。ただ、もう大丈夫やって言うただけですわ。」
「ならええわ。ああ、ベル」
男はホッと安堵の息を吐いた後、ふと思いついたように女官に声をかけた。
「なんです?」
「しばらくは秘密にしといてな。」
「…親分の事…です?」
「ああ。怖がらせたないやん。」
クシャっと前髪をつかんで俯く男に、女官ベルは少し笑みを浮かべた。
「太陽の国の黒太子なんて恐れられる方がえらい弱気ですなぁ。珍しい」
「ええからっ」
「はいはい。じゃ、そうしときましょ。」
クスクスと笑うベルに男は少しムッとしたように口をとがらせた。
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