楽屋にて
「あー、義勇、そんなに緊張しなくて大丈夫だぞ」
ひどく硬くなっている義勇を引き寄せてその細い身体を抱きこむと、錆兎はその背をなだめるようにポンポンと叩いてやる。
何事にもひどく自信がなくて不安感の強い義勇には、言葉をかけるだけではなく、しっかりと物理的に守る意志と手がある事を示してやる。
それは一番最初に義勇が過度の鍛練をしようとして身体を壊して、結果、撮影を遅らせる事になったとパニックを起こして何も言葉が届かなくなった時から始めたものだ。
まあ…義勇はそれで落ち着くし、錆兎自身も自分の腕の中に義勇がすっぽり収まってしまう感覚が心地いいので、ウィンウィンの良い習慣だと思っている。
ここで先輩の宇髄あたりだと顔中にキスでも落として甘い言葉の嵐なのだろうが、あいにく彼女が常に複数いる彼と違って錆兎は日常的にそこまでダダ甘い愛情表現をするのは得意ではない。
親愛と恋情のちょうど中間くらいの状態。
それが錆兎的には自然体で、おそらく義勇の側も他人との接触が著しく少なかったせいで、そのくらいがちょうど落ち着くらしい。
何もかも、全く自分の性質と自分の好みに合わせたような出来た恋人である。
今日は錆兎と義勇のための番組その名も【水柱のファンの皆様の仰せのままに】の第三回放映分の収録だ。
この番組は文字通り錆兎と義勇がファンのリクエストを募集して、そのアイディアに沿って何かをするのを撮影するというものである。
第一回は2人でお好み焼き屋で食事をする事。
第二回は錆兎は変装し義勇は女装して、一般のCPのフリで街中デートだった。
そして今日の第三回のお題はと言うと、『スタジオでファンの質問のお便りに延々と答え続ける』というものだ。
質問…というのもまあ怖いところではあるのだが、今一番義勇が緊張しているのは、スタジオで撮影なので錆兎以外の事務所のメンバーと共演することになることである。
元々とても人見知りが強い上、相手は有名人どころの話ではない。義勇が一般人であった頃から見ていたアイドル達だ。
宇髄あたりは何回か一緒に撮影をしたことがあるので少しは慣れてきつつあるが、他の3人は初共演だ。
緊張しないはずがない。
しかも撮影は午後いっぱい。
その間ずっとそんな中にい続けることを考えれば、緊張くらいする。
しないほうがおかしい。
そう訴えると錆兎はまたぎゅっと義勇を抱きしめて
「なんだ、そんなことか。
安心しろ。あいつらは細かい事を気にしないというか、いちいち覚えてられない奴らだから、気を使わないでいい」
と言う。
が、杏寿郎あたりは確かにそんな感じを受けるが、伊黒や実弥はしばしば厳しいツッコミをいれているのをよく見るので、少し怖い。
だが、怖いからと言って逃げるわけにもいかず、撮影本番へ…
どこかの居間のようなセット。
ローテーブルを挟んで正面から左右に2人がけのソファ。
右側に宇髄と伊黒、左側に実弥と杏寿郎が座っている。
4人はもう先にトークを始めていてた。
「さ~今日も【宇髄の部屋】、派手に行くぜぇ~!!」
「ちげえよっ!【水柱のファンの皆様のおおせのままに】だろうがっ!ざけんなっ!」
と、まず宇髄のボケと実弥のツッコミから収録は始まった。
「…俺は…どうせ出るなら【蜜璃の胸きゅんおしゃべりルーム】が良かった…」
「ふむ、俺は錆兎の番組なら宇髄とやっている【派手に作るぜ!漢の料理!】がいいなっ!
あれは…飯が美味いっ!!」
「お~ま~え~ら~~!!!伊黒は胸きゅんに出て喋れる話題なんてねえだろうがァっ!!
杏寿郎は俺の分も菓子やるから、黙って食ってろォっ!!」
と、ボケは宇髄だけではなかった。
伊黒にはやはりツッコミをいれ、杏寿郎には自分の前のまんじゅうを掴んで杏寿郎の皿に放り込む…と、そんな感じに実弥はフリーダムな事務所仲間たちのおかげで大忙しだ。
この番組は錆兎と義勇が撮影中には全てフリーに動くのと同様、トークも入れなければいけない話題だけは渡されていて、あとは素なので本当に他の時と変わらない。
今回は質問受け付けが終わってめぼしいものをピックアップし終わったタイミング、3日前に台本…というか指示書を渡されている。
錆兎と実弥の場合、この手の番組ではいつも台本を受け取ってすぐ構成や自分の動きについての検討に入っていって、当日にはその台本は書きこみで真っ赤になっているし、宇髄は一応目を通しておおよその流れを考える。
そして残りの伊黒と杏寿郎はたいていは読まない。
必要な事があれば宇髄が言うとの前提で全く読まない。
宇髄もそれがわかっているから、絶対に伊黒または杏寿郎がと指定してあるモノ以外は自分が言うように心がけている。
そして今日は錆兎と義勇がスタジオに来る事、さらに本日のお題だけは伝える事という指示。
その後は読者から来たいくつか質問が指示書に並んでいた。
今日は質問は多めに用意されていて、放映1時間に対して撮影丸一日。
答えた中で実際放送で流すのは一部だけなのだが、このあたりのやりとりは導入部なのでおそらく全部流される。
台本や指示書、互いにそれにどう対応しているなどの舞台裏を明かすのは地味で嫌だいうのは宇髄のポリシーなので、そのあたりは心得ていて上手に合わせてくれる実弥と二人三脚で話を進めていた。
全てがフリー素のままにを歌っているこの番組だが、実はスタジオ組は宇髄と実弥が、外部組は錆兎が、おかしな方向に行かないように空気を作っているのである。
そういう意味では外部組がスタジオ合流する今回は、錆兎がフォロー役としてもう一人加わるのでだいぶん気が楽な気がした。
おそらく義勇も錆兎が困るレベルで暴走はしないだろう。
まあそんなわけで、冒頭部さえなんとかなって質問に入れば、あとは番組の方で不適切だったりするものはカットしてくれるのもあるし、ほんの少しの我慢である。
そんな事を考えながら、宇髄は指示書にある通り今回は『読者から来た質問に水柱が答える』というお題である事を説明し、主役の2人を待った。
一緒に暮らして1年半ほど。
いつも錆兎は大人で穏やかで優しい。
義勇は人見知りだが、錆兎はそんな感じだし、何より恋人…――自分からそう言うのはおこがましいが、錆兎が好きだ、恋人になってくれと言って来て、義勇がそれに頷いたのでそう言えるのだろう――なので、だいぶ慣れたし、それほど気を使う事もなくなってきた。
だが、その錆兎が気を使わない相手、気心の知れた同僚たちだとしても、錆兎が平気だから自分も緊張しないかと言うとそれはない。
だからたとえ
「おう!よく来たな、まあ座れや!」
と、テレビの向こうで見続けていたのと寸分たがわぬキラキラしくも親しみに満ちた笑みを向けられても、義勇は錆兎の後ろに張り付いて
「よろしくお願いします」
と言うのみである。
「あれ?緊張されてんのか?俺とは何度も共演してんだろうが」
という宇髄にどう言って良いか悩む義勇。
ぎゅっと錆兎の服の裾を掴めば、そんな義勇の困惑を察して
「あー、宇髄先輩は発言がアレだから。実弥はすぐ怒鳴るしな。
義勇はデリケートにできてるから、脅かさないように」
と錆兎がとりあえず澄まして言った。
「あれってなんだよ、あれって!」
と言う宇髄に間髪入れず、
「あ~…確かに宇髄はアレだよなァ」
「ああ。間違っても甘露寺の番組には出せんな」
「うむ!たしかに発言はアレかもしれないが、飯は美味いから大丈夫だっ!」
と、後輩達から容赦ない言葉が浴びせかけられる。
…まあ一部意味不明なフォローも入ってはいるが…。
「宇髄がアレなのは確かだが、俺は怖くねえぞォ。
とりあえず宇髄の側は危ねえから錆兎が座って、義勇はこっち側に座れ。
杏寿郎は大人しくしてろっ。伊黒は何か余計な口を出しやがったらあとで舞台裏なっ」
と、収集がつかなくなりそうなその場を、実弥がさっと収めようと仕切る。
「…いや…その発言自体が微妙に……」
と、錆兎が苦笑しながらも、それでもカメラから正面にある長椅子の右側に座り、義勇を左側に座らせた。
ビクビクとした視線を送られて、実弥は何故かポケットを探り
「飴食うか?ほら、口開けろ」
と、飴玉を取り出して義勇の口に放り込む。
それに宇髄が
「知らない相手からお菓子もらったら危ねえって躾けてないのか?」
と、錆兎ににやにや。
それに反応したのは錆兎ではなく実弥。
「知らねえやつじゃねえだろうがァ!
よけいにかきまわすんじゃねえぞォ」
と、宇髄に向かって身を乗り出す。
そこで困ったようにそれまで黙っていた義勇が、錆兎の手を取って自分の肩に回した上で自分は少し錆兎の方に寄って懐に。
そして……
――これで…バリア。あ、安全地帯にいるから…。何があっても錆兎がいるから大丈夫ってことで?
コテンと小首をかしげて錆兎を見あげる。
ゴトン!!とすさまじい音がした…。
宇髄と実弥がテーブルに頭をぶつけた音が……
錆兎は空いている片手で顔を覆い天井を仰いでいる。
「…先に進めないで良いのか?」
そんな2人の様子に不思議そうにこの場の進行役の宇髄に声をかければ、やっぱり片手で顔を覆って俯きながら、宇髄は
「ああ…ちょっと待て。ちょっと待ってな?
錆兎と実弥が復帰するまで」
とそう答えた。
その間…まんじゅうを頬張る杏寿郎の
「美味い!美味いなっ、これは芋饅頭かっ!
実に美味いっ!」
という声だけが響き渡る。
そして…10分後………
「ということで、今度こそ始めるぞっ!
だれも邪魔すんなよっ!」
と宇髄が宣言して質問が始まった。
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