親御さんにもお別れを言いたいだろうし」
帰る道々フランシスは考え込む。
お兄さんだってしばらく住んだら離れるの嫌になっちゃったくらいだもんね」
京から少し離れた地方都市の出身ではあるが、その地域の中でも豊かな家で育てられただけに、フランシスは元々華やかな都会の文化が好きだった。
なので、ローマに付き従って憧れの地である京の都に足を踏み入れることになった事はとても嬉しくて、こちらに住まいを移してまだ3年ほどだが、都の生活をエンジョイしている。
まあ、それでも元は地方の出であるし親兄弟もいないので、京を離れるということで別れを惜しむのは華やかな町並みを始めとする生活環境なわけなのだが、アーサーは違う。
名門の出で京のど真ん中で生まれ育って、もちろん親兄弟だって京にいる。
惜しむものは自分以上にあるだろうと、心配するフランシスの言葉を、ギルベルトは
「いや、あいつは休みなんてやっても親に会う時間あったら戦に備えて剣振ってるぞ。
そういう奴だ」
と、あっさり否定する。
そして…直属の上司よりも、師匠の方が弟子の理解度は高かったらしく…
「本当か!そうか!京をいよいよ離れるのか!」
離京の報告を聞いても嬉しそうなアーサー。
「え?親?
うるさそうだし。どうせ縁切る切らないの話になるだけだから、会わないでもいい」
とあっさり言った。
そして
「それよりも…それまでお前も忙しいのか?
お前が忙しいくらいならギルベルトはもっと忙しいよな。誰と剣の稽古しようかなぁ…」
などと別の悩みを口にする。
当たり前にトップのフランシスより副将のギルベルトの方が忙しいものと決めつけているのもどうかと思うが、まあ事実だ。
(まあ…こっちはこんなものだろう)
ギルベルトはアーサーの相手はフランシスに任せてリヒテンの部屋を訪ねる。
「おかえりなさいませ。
ギルベルト様の方からリヒテンの部屋をお訪ね下さるなんて、お珍しいですね」
部屋に入ると焚き染めた香の香りが広がる。
若武者のようなすっきりしたアーサーの部屋とは違い絵に描いたような貴族の娘の部屋。
そして…若武者のようなアーサーとは違い、雅な京の貴族の姫。
リヒテンにこの生活を捨てさせるのかと考えると気が重くなる。さてどうやって伝えよう。
「ギルベルト様…いかがなさいました?ご心配事でも?」
部屋に訪ねてくるなり押し黙ったギルベルトを見上げて、リヒテンは心配そうにその顔を覗き込む。
「いや…実はな…大殿の命で本拠を京から王路の城に移す事になった」
仕方なしに口を開くギルベルト。
「王路…でございますか。」
「ああ、しばらく京には戻れねえ」
あえてローマの意向には逆らう事にはなる。
しかしいざリヒテンを目の前にすると、強要できない自分がいた。
「リヒテンは京に残れよ。
この館も完全に引き上げるわけじゃねえし、不安なら大殿の城に置いてもらえるよう、頼んでみるから」
そう自分で口にしておいて、言った先から後悔の念がよぎる。
アーサーもリヒテンもどちらもすでにいるのが当たり前の自分の家族、身内のような感覚になっていた。
また元に戻るだけだ…とは思ってはみたものの、その暖かさを知ってしまった後だと、ことさら寒さがつらく感じる。
ローマの話ではないが遠征に出れば京には早々戻れない。
下手をすればもう二度と会うことができなくなるのだ。
自分は今平静な様子を保てているのだろうか…。
戦の時とはまた違った緊張がギルベルトを包む。
まだ子どものリヒテンに要らぬ心配をかけたくないと思う気持ちと、つらい心のうちを察して欲しいと思う気持ちが交差する。
そのまま立ちすくんでいたギルベルトは、不意にフワっと柔らかいものを腕の中に感じた。
柔らかくギルベルトの背に手が回される。
「リヒテンはあったけえな」
ギルベルトもそっと腕の中にちんまりと収まってしまったリヒテンの背に手を回した。
「リヒテンが同行させて頂いてはお邪魔になりますか?」
少し不安げな大きな瞳がギルベルトを捕らえた。
「いや…そういう事はねえ」
あくまで表面上は表情が変わらないギルベルトとは対照的にリヒテンの表情はクルクル変わる。
ギルベルトの言葉に、その目に見る見る間に涙が浮かんだ。
「では…ギルベルト様がリヒテンの同行をお厭いなのでございますか?」
「そ、そんなことはないぞ!」
ギルベルトは焦りながら、しかしリヒテンの言葉にかすかな希望を見出す。
「ではどうしてフランさんもギルベルト様もアーサーさんも王路に行かれるのに、リヒテン一人京に残れなどと申されるのでございますか?」
「来て…くれるのか…?」
声がかすれる。
「リヒテンが京を離れられないんじゃねえかと思ったんだ。本意じゃねえ」
リヒテンの背に回す腕に少し力をこめる。
リヒテンはそのまま引き寄せられてギルベルトの胸に顔をうずめた。
その小さな頭をギルベルトはそっと撫でる。
「皆様がいらっしゃる所がリヒテンのいる場所でございますゆえ…王路でも異国でも
どこへでも連れて行ってくださいませ」
緊張が一気にとける。
「よしっ!一緒に楽しく田舎暮らしするかぁ~」
改めて口にするギルベルトにリヒテンは小さく、はい、と答えたあと顔をあげて
「王路なら海の近くでございますゆえ、京より新鮮で美味しいお魚がたくさん手にはいります。
美味しいお膳をたくさん作りますね♪」
と、涙の残る顔ににこぉっと明るい微笑みを浮かべた。
「館から持ち出す物は良いとして…」
リヒテンの部屋へ向かったギルベルトを見送ったあと、アーサーはフランシスを振り返った。
「向こうで手に入りにくい物資をある程度は京で手配しておかないとな」
単に浮かれてただけではないらしい。
「あ~、そうだねぇ…」
と、こちらは考えているようで全く考えていなかったフランシス。
「日用品は菊ちゃんに、軍備関係はギルちゃんと相談しといて」
と、答える。
(特に引越しの手筈とかも考えず、実際に動くわけでもないなら暇なんじゃないか…)
と、一人でブツブツつぶやくアーサー。
「ヒゲ、お前も少しは自分の頭使って動けよ。脳みそ腐るぞ?」
とまたまた容赦のない言葉が飛ぶ。
とりあえず優先順位は軍備関係なのだが…
アーサーの脳がフル回転を始める。
それにはまず、リヒテンの説得から始めないと…。
いくらローマの意向とはいえ、リヒテンが早々京を離れられるとは思えない。
リヒテンと離れる…そんな事は自分も嫌だし考えられないし、ギルベルトだって嫌だと思う。
だが今はリヒテンのところにはギルベルトが行っているだろうから、そちらは後回しでまず日用品か。
「菊~!」
アーサーは母屋にかけこんだ。
「あ、アーサーさん、良いところに…」
「ん?なんだ?」
「いや、離京に際して手配する物について一応確認を、と」
菊は目録をアーサーに渡す。
「ん…こんなもんでいいんじゃないか?」
さ~っと目を通してアーサーが目録を再び菊にさしだした。
「菊?」
目の前に差しだされた目録に気づかず、放心状態の菊。
「おい!大丈夫か?!」
アーサーに目の前で手を振られ、ようやく我に返ったらしい。
「す、すみませんっ!」
と、あわてて目録を受け取った。
「大丈夫か?働きすぎじゃないか?」
心配になっていつになく元気のない菊に声をかけると、菊はあわてて手を振って
「とんでもありません!大丈夫ですっ。むしろ…もっと働いていたいくらいです…」
と小さく息をついて肩を落とす。
「そうか…?」
と、気にはなったものの色々やる事が山積みなので、先を急いだ。
「ヒゲ~!暇なら手伝え!!」
そうして菊と別れ、予備の武具の確認をするため蔵に行く途中で、アーサーはノンキに庭を掃いているフランシスをみつけて、声をかけ、
「お前信じられねえよなっ!こんな時によく庭掃除なんてしてられるもんだ!」
と、半ば八つ当たり気味に怒鳴り散らす。
「菊なんて忙しすぎて意識半分飛んでたぞ!」
アーサーの言葉にフランシスは頭をポリポリと掻きながらホウキを置いた。
「はいはい。何をやればいいの?」
「とりあえず予備の武具の確認手伝え!」
大将に対して命令口調のアーサーである。
というか…大将に手伝わせる雑務でもなかったりするのだが、気の良いボスは、はいはい、と素直にアーサーの後に続く。
「菊ちゃんが元気がないのは…別に理由があるとは思うんだけどなぁ。
桜ちゃんの事とか…」
ボソボソっというフランシスのつぶやきに、キリキリ動いていたアーサーの足がピタっと止まった。
「どこの桜ちゃん?」
「菊ちゃんが休みのたび会いに行ってる子。彼女…なんじゃないかなぁ?」
ああ、そういえば以前そんな事を…アーサーははっと思い出す。
「京を離れるということは…会えなくなるしねぇ…」
「連れていっちゃいけないのか?」
と、聞くアーサーに、あのねぇ…と、フランシスはまた頭を掻く。
「男の子ならとにかく、嫁入り前の女の子が男についていくわけにはいかないんじゃない?」
ふむ…
「フランは会った事あるのか?」
「遠目からならね。すっごく可愛い子。朱雀通りの花屋の看板娘よ?」
アーサーの頭の中でまた色々クルクルと考えが回った。
そして、
「よし!ヒゲ。点検任せた!」
と、言ってアーサーは反転する。
「え?!坊ちゃん?!」
「ちょっと私用!でかけてくる!」
アーサーはとまどうフランシスを残して自室に戻った。
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